東京神学大学×東京基督教大学・後編 互いの聖書理解に〝誤解〟? 学生ら今後に期待 2022年11月21日

 東京基督教大学(TCU)と東京神学大学(東神大)の神学生有志たちによる座談会「TTT」が10月31日、日本基督教団富士見町教会(東京都千代田区)で開催された。神学校の枠を越えて展開された率直な議論の模様を、前号に引き続きお伝えする。

交わりを絶つのではなく…
「福音派の弱みは社会的な関与の乏しさ」

 東京基督教大学と東京神学大学両校の最大の壁は、互いの聖書理解への誤解であると議論は盛り上がった。

 福島慎太郎さん(TCU大学院2年)は、「率直に『十全霊感』(聖書は一言一句誤りのない神の言葉であるという認識)についてどう思うか?」と質問。それに対して東神大側は「その立場についてある程度は学ぶが、必ずしもそれを採るわけではない」と返答。続けて福島さんが、「あくまでも個人の肌感覚」と前置きしつつ、「『十全霊感』を採用しないことは同時に聖書には誤りが含まれていることを認めると捉える人も、伝統的な福音派の中には存在する」と補足すると、吉岡優介さん(東神大3年)が「私たちは神の言葉を正確に理解し、説教をするために学んでいる。そのためにさまざまな学問研究の手法を用いている。誤りがあることは前提としていないし、そもそも誤りという言葉が何を意味しているか不明瞭」と応じた。

 TCU側からの「東神大はカール・バルトの神学を大切にするというイメージがある」という意見に対しては、「バルトについては学ぶが、バルト主義者の集まりではない。あくまでも私たちは聖書が何を語っているかについて最も関心を寄せている」と返答。これについてTCUからの参加者は、「どうしても『東神大=バルト=リベラル』と聞かされて先入観があったが、自分たちと同じように一人ひとりの神学生が、あらゆる角度から聖書について真剣に考えているのだとむしろ安心した」と感想を語った。

 今度は東神大側からの「福音派やTCUでは聖書をどのように読んでいるのか」という質問について、TCUの福士堅さん(大学院1年)は「聖書は霊感を受けた神の言葉であり、私たちの生活の規範である」と答えるとともに「他方、一言一句文字をなぞるのではなく、どういう意図でどのような時代背景に記されたものかということも知る必要があるので聖書に関する解釈学なども学ぶし、中にはそれを積極的に受容している学生もいる」と述べた。

 この点について東神大の学生は、「思っていたよりも多くの学生が広い視野で神学研究に臨んでおり、福音派への一種のバイアス(偏見)があったと気づかされた」と感想を寄せている。

 続けて東神大教授の小泉健さんが、「かつてKGKで出会った人に、所属教派を打ち明けてガッカリされたことがある。福音派におけるNCC(日本キリスト教協議会)へのイメージを率直に聞きたい」と尋ねた。これに対し、福島さんは「福音派といってもさまざまなグループがあるので一概には言えないが、私の関わってきた教会やコミュニティでは何回か『彼らは聖書を神の言葉と信じていない』と言われたことがある。言葉の真意は不明だが、そのたびにどうして同じ神を信じているのにとショックを受けた。個人的には叔父がカトリックの神父、弟が同志社大学神学部で学んでいたこともあり、取り立てて偏見はないし、最近では福音派こそ彼らから学ぶべきと声を上げる人たちもいる」と答えた。

 福士さんは「福音派の弱みは社会的な関与がいまだに乏しいこと。戦後の日本基督教団を見ると、海外からの支援を受けて学校や福祉施設を建てることへ注力している。教育や福祉に関わることはキリスト教において非常に重要なことであり、NCCの働きからキリスト教の愛と施しの実践をより多く学ぶ必要があると感じている」と続けた。

 TCUの学生からは、「それぞれどのような説教観を持っているか」との質問が出され、登壇者全員が答えた。東神大側は「いろいろな日本語聖書を何度も読み、原典にあたる。その中での発見を伝えようとしている」(浅見和花さん・4年)、「ある牧師から原語の聖書を日本語に訳したら説教はできたも同然と指導を受けたことがある。原語と格闘し、イエス・キリストが何をしてくださっているのか、何を語っておられるのかを受け取り、それを伝えることを目標としている」(小林光恵さん・3年)、「できた説教で、まずは自分が心動かされるかを確認する。動かなければそれは自分の言葉にすぎない。自分が変えられたと確信できたものを『神の言葉』として説教するようにしている」(吉岡さん)と応答。

 TCU側は、「キリストが見える説教。ご老人から赤ん坊までが『イエスって、なんか良いよね』と言える説教。聖書の物語に自らを落とし込むことを意識している」(福島さん)、「釈義と黙想、祈りを前提とした現代に合った適応ができる説教こそ良いものだと思っている。聖書に記されている福音の真理を現代の人々の魂に響かせ、キリストを『見る』説教が大切だと思っている」(福士さん)、「目の前で聞いている人にいかにして神の愛を伝えるか。解釈の立場や聖書をどれくらい読んだかも大切だが、それ以上に神の愛を知らずして神の愛を語ることはできない。まず自分が神の愛を受け取り、それをどのように表現するか取り組んでいる」(塩原美小枝さん・3年)と応答した。

 参加者からは、「お互いの神学校を知ることができたのは貴重な経験。違いがあっても同じ神をあがめていることを再確認できた」「質疑についても全体で考えることができ、手探りの1回目としては良い会だった」「聖書の解釈に関する議論は非常に興味深く、他者を理解することができた」との声が寄せられた。TCUから参加した中沢日々祈さん(3年)は、「TCU以外の神学生と出会ったことがなかったので、新しい世界を見たいと思って参加した。東神大には硬派という印象があったが、参加してみてそれぞれ別の視点を持っていても、中心はイエス・キリストだと気付かされた。教団・教派の壁を超える時、『あいつらは分かっていない』というような見下す声を聞いたこともある。しかし、そのようにして交わりを絶つのは悲しい。もっとこのような活動が広がればと思った」と話す。

 2時間の議論を経て、閉会礼拝で語られたのはマタイによる福音書「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」(18章20節)からの岡村直樹さん(TCU教授)によるメッセージ。「たとえ違いがあっても、今このようにして両校がキリストを真ん中にして語り合っている。これこそ恵みであり、ぜひ続けていってほしい」と学生たちを激励した。

 企画した福島さんは、「互いの立場について胸襟を開いて語り合うことで理解を深め合い、一致の方向へと一歩踏み出した印象。学生有志による自由な討論の場であったため、互いの神学生の抱える思いが率直に聞ける場でもあった。今後このようなエキュメニカルな雰囲気が形成され、いっそう日本の宣教と神学研究に貢献したい」と振り返った。

*「TTT」は今後、半年に一度のペースで開催を計画中。日本の宣教と神学研究の未来のために、交通費、会場利用費への献金を呼び掛けている。「TTT献金」と明記の上、千葉興業銀行(ちば興銀)店番号490 1121779「フクシマシンタロウ」まで。

東京神学大学×東京基督教大学・前編 「見えざる壁」越えて 神学生有志が共同企画 交流と神学議論を目的に 2022年11月11日

写真=登壇した東京基督教大学の(左から)福島さん、福士さん、塩原さん

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