宗教者、記者交え「信じることの意味」問う第2弾 「たとえ教会が少なくなっても…」 2022年11月22日

 片柳弘史神父による『何を信じて生きるのか』(PHP研究所)の出版を受けて「信じることの意味」を問うトークイベントの第2弾「神も仏もあるもんだ!!――続・信じることの意味を問う」が10月28日、道心寺(兵庫県尼崎市)で開催された。

 8月に開催された第1弾=下記、動画=に続くもので、今回はオンラインとのハイブリッド形式で開催され、会場を含め約80人が参加した。登壇者は、片柳弘史(カトリック宇部教会主任司祭)、古本みさ(日本聖公会奈良基督教会副牧師)、露の団姫(まるこ、天台宗僧侶)、竹田真志夫(朝日新聞記者)の4氏。司会は本紙編集長の松谷信司が務めた。

 異なる教派の宗教者に加え、今回は特定の宗教をもたない立場から竹田氏が参加。最近、注目を集める旧・統一協会、「宗教2世」問題に始まり、宗教者の社会貢献、高齢化社会における宗教の役割など、幅広いテーマで意見を交わした。

 いわゆる「カルト」と正統的キリスト教との違いについて古本氏が、「『あっちは違う』『こっちは正しい』ではなく、教会も一歩間違えばカルトになり得るという認識と自己吟味が必要」と述べたのに対し、団姫氏は「教育の中で宗教に触れることで、理解が広がり人々自身もアンテナを張れるようになる」と宗教教育の重要性を指摘。竹田氏は、宗教の「反体制」と「反社会性」は区別すべきだとしつつ、「この二つが重なったり、綺麗に分け切れない場合が難しい」と述べた。

 古本氏は、信徒の高齢化が著しい聖公会の現状に触れ、「変える部分と変えない部分を見極めなければならない。キリスト教主義学校で教えている生徒たちが教会の礼拝に行くと、『素晴らしかった』『よかった』という感想を聞くが、教会にはつながらない。体験としては良かったけれど、楽しくはない。若者がいないし、高齢者にいろいろ聞かれることにも抵抗がある。楽しくないのが一番の問題」と述べた。続けて片柳氏は、教会の課題について「自分が求めているものに応えてくれないというのが一番の問題」とし、「今の若者や時代が求めていることに宗教は応えきれているのか。10年前と同じことをしていたのでは、カトリック教会でさえ地方での存続が危うい」と危機感を募らせた。

 これに対し竹田氏は、まったく異なる視点から「日本全体で少子高齢化、過疎化が進む中で信者が減って、教会が少なくなったとして、その何が問題なのか」と切り込んだ。「形あるものはいつか滅びる。地方の宗教施設を必死に維持しようとする姿勢は尊敬に値するが、無理に建物に固執するのは違うのではないか。仮に教会やお寺がなくなっても、変わらない姿勢と覚悟が必要ではないか」

 また、社会的課題と信仰の関係性について同氏は、「『自助』の前に、まずは『公助』。政治や社会がしっかり制度設計をすることが前提で、それでもこぼれ落ちてしまう部分をすくうのが宗教者の役割。また宗教者以外が宗教者の社会活動を傍観するのではなく、私たちには何ができるのかを考えることが必要」と述べた。

 片柳氏は自身が仕えたマザー・テレサを引き合いに出しつつ、「道端に倒れている人を目の前にして、キリスト者として放っておけないというのが行動の原点。宗教者が問題提起することで、結果として社会が変わればよいという意識があった」と補足した。

 宗教者が社会活動に携わっていく時、どこまで自分の信仰とその宗教性を保ち得るのか。そのバランスについての議論が深められる中、社会における教会やお寺の役割について司会者が「聖書や教会を信者だけのものとして独占している」状況を指摘すると、片柳氏は「地方の教会では、高齢化に伴い、週に1度、決まった時間に一つの場所に集まるということ自体ができなくなりつつある。今の現実の中で、別の形を考えなければならない。キリスト教の最大の目的は福音を伝えること。あなたはかけがえのない命であり、あなたの人生には意味があると伝えるために、ふさわしい形を模索する必要がある」と改めて強調した。

 団姫氏も「伝道を人数で数えてはいけない。教えを伝えるのと信者の人数を増やすのは違う。私は自分のお寺の信者を増やそうとするのではなく、まずはみんなが幸せに生きるためにこそ宗教があると思っている」と自らの宗教活動の原動力について語った。

 後半には、オンライン視聴者からも質問が寄せられ、宗教・宗派を超えた課題にどう向き合うべきかについて、縦横に意見が交わされた。続く第3弾は12月3日、日本基督教団室蘭知利別教会牧師の石川宣道氏を招き、オンラインで開催される。

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