【雑誌紹介】 福音と世界 12月号

尹東柱生誕100年を覚える

 立教大学兼任講師の香山洋人が、今年の暮れに生誕一〇〇年を迎える尹東柱(ルビ:ユンドンジュ)の死が「治安維持法」に基づく逮捕・投獄に起因することを念頭に置いて、この詩人をめぐっては二つの異なる見解があると言う。

 《それは、彼は植民地支配と闘った民族主義的闘争の詩人なのか、それとも時空を超えて愛誦されるナイーブで叙情的な青春の詩人なのだろうか、というものだ。しかし、詩人に冠せられる称号をめぐる違いは読み手の立場の違いでしかない》として《朝鮮語が禁じられ日本語が「国語」とされた状況下で、「朝鮮語による詩作を行い続けた」ということ自体が支配に対する抵抗であり民族主義の発露だとする考えに、反対するつもりはない。

 しかし、尹東柱は安重根(ルビ:アンジュングン)のような独立運動家でもなければ、朱基徹(ルビ:チョギチョル)のような神社参拝拒否の殉教者でもない。「義士」や「烈士」だけを通して語られる歴史にはどこかしっくりこないものがある。それらは尹東柱が紡ぎ続けた世界とは大いにかけ離れたものだ。彼は、素朴な人々に畏怖の念を抱きつつ詩を書いた》と。

 《しかし「今このとき」に尹東柱を語るのはそれ故ではない。いやむしろ、われわれはこの時代において、すべての人間が暴力にさらされていたあの時代を思い起こしたい。凡庸な日和見主義者であれ抗日の闘士であれ、誰もが自らの主義主張とは異なる次元で否応なく暴力に直面させられていたあの時代だ。尹東柱の死はそうした人々の経験と無縁ではない。少なくともわれわれはそのことに着目する必要がある》と。

 そして《「われわれ」とは、今この時を生きている日本社会の構成員、それぞれの場で、それぞれの仕方で日本という現実に関係しているわれわれのことだ。日本という現実をどう切り取るか、それはそれぞれが何者であるかということに深く関係しているのだが、尹東柱の作品を民族主義的に読み込むことも宗教詩として解釈することも可能なように、われわれは日本社会においてそれぞれのテーマをそれぞれに担うことが可能であり、それこそが人間の生き方、自由の問題だと言いうるだろう》と。

 さらに《彼がたやすく詩を書いたとは思わない。「一点の恥なきこと」を願いながら詩人としての自らの運命を恥じる心は、人々の痛みに共感することなく自己正当化の道を進む人々を深く恥じ入らせて余りある力を持っている》と。

 特集は『ポピュリズム・デモクラシー・キリスト教』。時宜を得た企画になっている。

【本体588 円+税】
【新教出版社】

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