【書評】 『母性のディストピア』 宇野常寛

 左派、右派を問わず戦後の、特に敗戦という烙印の中でマチズモ(男性優位主義)を求めざるを得なかった、男性による表現世界。表現者たちは公的にはマチズモを標榜しつつ、私的な領域においては母性への強い依存から抜け出すことができずにいた──この読みを、著者は戦後の代表的アニメーション作品を構造分析することで明らかにする。なぜアニメーションなのか。それは20世紀が映像の世紀であり、そして作者が描こうとしたもの以外、画面に映りこむことがあり得ないアニメーションこそ、その究極の表現形態であるからだ。

 宮崎駿が描く少年(あるいは少年性をもったままの成人男性)は、守るべき少女/見守ってくれる母なしには飛ぶことができない。一方で母性・父性といった私的家族領域を超えた共同体の可能性を描き得た、富野由悠季によるニュータイプ像も、次第に少女/母の呪縛から逃れ得ない閉塞へと陥っていく。母性の外部すなわち情報化する「今、ここ」の荒涼を描き得た押井守は、その先を見出すことができず喘いでいる。

 敗戦によってマチズモをストレートには肯定することが不可能となった戦後の男性表現者が陥る隘路を、著者は幾人かの代表的クリエイターによる作品群への精緻な分析と、彼ら自身の言葉を引用、解釈することで浮き彫りにしていく。

 男性が求める少女/母とは何者なのか。男性は少女/母への屈折した依存によるマチズモから脱出することは可能か。読者はその性別を問わず、あるいはその性別という文脈を通して、著者からの挑戦を受けるだろう。

【本体2,777円+税】
【集英社】978-4-0877-1119-6

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