【雑誌紹介】 〝透明な風〟になろうと 『福音宣教』4月号

 連載「行け、音よ翼に乗って」で指揮者・三澤洋史が《私は、〝オペラ指揮者〟としての自分を天職を得た者だと思っている。オペラは〝描く音楽〟に支配されている。画家が様々な情景を筆で描くように、物語のシーンの一つひとつを、音楽は克明に描き出していく。大規模な管弦楽の響きによって、激しい情念が劇場空間全体を満たすかと思うと、一人の歌手が切々と歌うメロディーによって、聴衆が感涙することもある。時には聴く者の胸ぐらをつかむような〝音楽の確固たるパワー〟を肌で感じる。その喜び!
 同時に、劇場の外では、私は好んで宗教曲の演奏会を指揮している。オペラにも宗教的題材のものはあるが、還暦を過ぎて、男女の痴情のもつれに感情移入することには、しだいに躊躇を感じるようになってきた。一方、バッハなどの宗教曲には、清冽な感動と宗教的法悦がある。これも音楽のパワーの一つの姿。
 そうした音楽の存在感を身近に感じていた私であるが、ある時、自分と音楽との関わりを決定的に変えた機会に遭遇した。それは、二〇一四年待降節から私が東京カテドラル関口教会聖歌隊指揮者となったことによってもたらされた。
 私は、聖マリア大聖堂でミサを指揮することによって、宗教音楽と呼ばれる分野とも異なる〝祈りのためだけの音楽〟の存在に出遭ったのだ。そこには三つのアプローチがある。一つは、現実から離れて会衆を祈りの状態に誘うアプローチ。二つ目は、言葉に寄り添う音楽のあり方。最後は、祈りと言葉とを飛翔させるアプローチ。
 ミサの中では、どんな時でも流れから離れて音楽だけを主張してはならない。音楽はすべてミサに奉仕するものでなければならない。入祭唱の時に、私には、きょうの会衆の心がどのくらい日常生活の想念を引きずっているのかが不思議と分かる。それを鎮めて祈りの精神状態に導けるよう、私自身が祈りながら指揮している。
 故高田三郎氏の作曲した歌ミサは本当によくできている。ファの音を中心にした、メロディーともいえないようなものであるが、余計な感情移入がないので、朗読の延長のように歌える。「あわれみの賛歌」などは、なんとミファラの三つの音しかないのだ。高田氏は恐らく自分の作曲家としての自己主張を徹底的に排除し、ただミサの言葉を生かせるように、〝透明な風〟になろうと努めていたに違いない。
 指揮をする私も、高田氏に習って自我をゼロにしようとする。すると不思議なことが起こる。抑制された音楽は、しだいに言いようのない力で言葉を包み込み、ついに言葉が音に乗って飛翔し始める瞬間を導き出すのである。その時、会衆の祈りも飛び立っていく。
 オペラを油絵にたとえるならば、祈りの音楽は、キャンパスの白を生かして描く水彩画家のアプローチに似ている。だからこそ、祈りの中から生まれ出ずにはいられない音楽の根源的な力を呼び覚ますことができるのだ。今の私は、これを極めたいと夢中になっている》と。

【本体500円+税】
【オリエンス宗教研究所】

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