【雑誌紹介】 はかりしれぬ大いなる愛は 『福音と世界』4月号

 連載コラム「みことば散歩」で日本基督教団牧師の望月麻生が記す。

 《この三月までお世話になった教会では、イースター直前の金曜日、つまりキリストの受難日に特別な礼拝がある。毎年、教会の聖歌隊がバッハの「ヨハネ受難曲」を歌うのである。ヨハネ福音書に沿った歌と朗読、説教による礼拝。牧師も説教だけしていればいいわけではなく、聖歌隊の一員として駆り出され、難しい歌をみっちり仕込まれる。私は歌が苦手なので、この時期は個人的にも辛苦の日々だ。歌だけでなく、登場人物のセリフなども聖歌隊員が言わねばならない。
 ……聖歌隊員の方々は慣れたもので、熱狂的に叫ぶ群衆を見事に再現する。しかし私はこの叫ぶ場面が嫌でしかたない。棒読みにするとすかさず指揮者からダメ出しされて練習が終わらない。内心しぶしぶ叫んでいる。すると、それを冷めた目で見ているもう一人の自分がいることに気づく。私もいつか、この聖書の場面のように大勢が一人を糾弾する場面に居合わせたならば、「何か違うな」と思いながらもしぶしぶ叫ぶのだろうか。しぶしぶ叫んでいるつもりが、知らぬうちに本当にその人を責めているのだろうか。そうして後で「あれは場の流れで仕方なかったんだ」なんて自分に言い訳するんだろうか。きっとそうするんだろうなあ。こうやってキリストの受難の物語を音読するたびに、私は自分の仮面を肉ごとはがされるような気持ちになる》と。

 さらに《なんと救いのない話なのだろう、と最初私は思った。けれども、次第にそうでもないと考えるようになった。それは、私があのヨハネ受難曲の練習に出なくてよくなったことがきっかけだった。四月から新任地へ赴任するため、年度末にあたる受難日の礼拝には参加できないのだ。そのことは最初、私をとても開放的な気分にさせた。むち打たれるような厳しい練習に出ずにすむ! 高いラまである最後の歌をうたわなくてすむ!
 何より、もうアレを叫ばずにすむ!
 さっそく聖歌隊の練習中に羽をのばし、近所の本屋に行って目当ての文庫本を買い、小粋な歌など口ずさんで教会へ帰ってきた。そのとき、外まで響く「殺せっ! 殺せえっ!」の声に驚いて立ち去る夫婦を目撃したのだった。
 この、狂った群衆の声に加担せずにすむというホッとした気持ち。だがその気持ちをよくよく覗いてみると、「もう私は関係ない」と、叫ぶ群衆を見物して他人事にしている自分がいる。その自分と群衆、そしてイエス・キリストとの間には、なんとも寂しく冷たい風が吹き抜けた》と。

【本体588円+税】
【新教出版社】

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