【既刊再読 改めて読みたいこの1冊】 『『七一雑報』を創ったひとたち』 勝尾金弥

『『七一雑報』を創ったひとたち』(創元社、2012年)

 日本キリスト教史に偉大な足跡を残した神学者・植村正久は、日本語初のキリスト教メディアについて、このように書き残している。

 「余輩の記憶する所によれば、基督教の新聞として最も早く現われしものを神戸の『七一雑報』とす。その第一号より久しき間『編輯長』として署名せし村上俊吉氏は、基督教徒間新聞記者の先方なり。(中略)当時の読者が七一紙上に現われたる『天路歴程』の翻訳、フォールズ氏の『変遷論』等を、甘露をなむるの心地して歓迎せし……」

 「七一雑報」は、当時、唯一にして最初のキリスト教週刊紙だった。創刊号の冒頭にはこのようにある。

 「日本国中の男も女も平均したら、その中で新聞やお布告書なぞを差し支えなく読む、通例の字読みが何程ありましょう。七分三といいたいが、少と六ケ敷ございましょう。して見ると、これから嵜のこどもはおいおい稽古して字読みになるとしたところが、今さしあたりけいこの時節が遅れた多くの人々が、草双紙や浄瑠璃本は読んでも、ためになる教えだの、外国の模様だの、先生方の論説だのを聴くことができませんでは、文明開化の仲間はずれにて、世間せまいばかりでなく、報国とか申す赤心も起こらねば、子を教ゆる愛心もあえないわけでございましょう。

 それゆえこの新聞紙には、投書のほかなるたけ解りよく平たい語で、先生方の高い談やら、世の人のためになることわりも、いろは四十八文字さえ知っていれば、あとは読手の考えにて解るように致します趣尚ゆえ、向裏の七兵衛さんでも、隣村の八兵衛さんでも、お松さんでもお竹さんでも、または辺ぴの百姓衆でも、この新聞紙をよんで開花の仲間入をなさるように御頼み申します」

 何を伝え、何を報じ続けるのか。「キリスト教と近代化」に直面し、その受容に東奔西走した日本人の息遣いが丁寧な筆致で綴られる。インターネットの全面化という技術革新を経た現代、マスメディアの倫理と本質が問われる昨今だからこそ、再読に値するタイトルだ。

【本体1,800円+税】
【創元社】978-4-422-14384-2

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