【雑誌紹介】 「マリアはすでにハグして」『カトリック生活』7月号

 特集/マグダラのマリア。『「# Me Too」とマグダラのマリア』で文藝家協会会員の宗任雅子は言う。

 《新約聖書の時代、福音書にはイエス・キリストに救われた女性たちの話が多くある。虐げられた弱き彼女らは、彼こそ救い主であると確信しイエスにつき従う。名もない女性が多い中で、際立つのはマリアの名をもつ女性たちだ。……聖母マリアは別格として、精彩を放っているのがマグダラのマリアである。伝えられているエピソードが必ずしも本人のものではなく、歴代の教皇によって見解も異なる謎多き女性である。芸術家にとっては創作意欲を惹起する愛すべきモデルだ。……マグダラのマリアの真価が発揮されるのは、主の受難から復活後にあると思う。愛するイエスの磔刑、十一人の使徒たちが逃げ出したその現場を悲しみで胸が張り裂けんばかりの思いを抱えながら、聖母マリアと共に見届ける。聖霊が下ったとしても、その気丈さに深い畏敬の念を覚えずにはいられない。そして復活の場面である。

 数年前に拝聴した山浦玄嗣氏の講話を思い出す。岩手県気仙地方ご出身の医師で、ケセン語新約聖書を出されたことで名を馳せた方だが、その話術は福音書の世界を卑近なものにして、聴衆を飽きさせなかった。空になった墓場の前で泣いていたマグダラのマリアにイエスが現れる箇所だ。「マリア」と呼ぶ声がイエスだと知り、彼女は振り向いて、「ラボニ(ヘブライ語で先生)」と言った。するとイエスは「私にすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから」(ヨハネ20・17)と言う。

 感動的な場面なのに、イエスの他人行儀な物言いが気になっていた。そこを山浦氏は「マリアはすでにハグしていたんです」と身振りを交えて解説された。ギリシャ語の原点では「触り続けるな」と言う意味らしく、イエスはマリアに「もうそんなにしがみつくんじゃないよ」と優しくさとしていたのだ。親が子どもに言ってきかせるように……。

 喜怒哀楽を隠さない子どものようなひたむきさと純真な心。分別ある大人の耐え忍ぶ強い心。マグダラのマリアのあふれる人間味はいつだって私たちの目に眩しい≫と。

【本体200円+税】
【ドン・ボスコ社】

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