【雑誌紹介】 音楽は信仰に寄与するのか 『礼拝と音楽』178号

 特集『教会とコンサート』の巻頭で慶應義塾大学教授の佐藤望が、礼拝堂での「コンサート」の始まりを「社会的・思想的背景と現代日本の教会」から説明する。

 《現代の日本の教会では、さまざまなコンサートが開かれている。コンサートを開くことで、普段教会に足を踏み入れない人が、教会に来てくれる。コンサートは一般の人には敷居が低い。音楽は心に直接訴えかける力を持っているから、その力を伝道の機会に用いたいと、コンサートを催す教会も多い。

 また、礼拝堂で教会外の団体によるコンサートも行われている。演奏者は、単に便利な会場のひとつとして教会を選ぶこともあるだろう。しかし、初めはそうでも、牧師や信徒とのふれあいの中で、その場が神に礼拝を捧げるための聖なる空間であるということを知り、そこに特別な何かを感じ、自らと自らが行う音楽に向き合おうとする音楽家はとても多い。祈りの家である教会は、その存在自体が、主の現存を力強く証しする。

 一方で、教会コンサートの開催が伝道に直接結びつくかと言えば、それはかなり難しい。現代はさまざまなコンサートに溢れていて、教会の外でキリスト教音楽を聴く機会も決して少なくない。それらのほとんどは、宗教的意図をもって催されているわけではない。演奏者も聴き手も、すばらしい芸術遺産として作品に敬意を払っても、多くの場合、その宗教性からは距離を置こうとする。そのため、教会において、純粋に主の福音の素晴らしさを宣べ伝えることを意図してコンサートを開いても、一般の聴き手は音楽そのものの魅力のみに耳を傾けてしまう。

 しかも日本の場合、教会音楽の演奏家は必ずしもクリスチャンではない。伝道を目的に行うコンサートの出演者がクリスチャンであることは望ましい。そうでなくてはならないと考える教会も多いだろう。しかし、限られたクリスチャン音楽家だけでコンサートを開こうとすると、編成や曲目、日程などがどうしても制限されてしまう。

 一般信徒も楽しめる形で、芸術音楽が教会で演妻されるようになったのは、概ね十七世紀以降のことであった。それは、宗教改革後のヨーロッパにおける思想的変化・社会的変化と密接に結びついている。その変化に伴い、「教会に高度な音楽は本当に必要か」「教会では平易な音楽のみを実践べきではないか」「音楽は信仰に寄与するのか」といった問いが、当時の教会で激しく論議されるようになっていた。これは、今日の日本の教会で音楽をめぐって論議される内容と、とてもよく似ており、これらを知ることは、教会における音楽活動の実践を考える上で非常に参考になる。

 本稿では、教会コンサートがどのようにして始まったのか、そこにどのような人々のニーズがあったのか、高度な芸術音楽の教会での演奏をめぐり、それがどのように神学的に理解されていたのかといった問題について、筆者の専門である宗教改革期以降のドイツの事情を中心に考えてみたいと思う。そして、当時花開いた芸術的教会音楽が、教会の礼拝や直接的な宗教上の営みを離れ、コンサートという場所に活路を見出していったのはなぜかという問題を、さまざまな神学が相克する時代の宗教思想と社会の関係から読み取っていこうと思う》

【本体1364円+税】
【日本キリスト教団出版局】

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