【書評】 『消された信仰 最後のかくれキリシタン――長崎・生月島の人々』 広野真嗣

 2018年6月30日、第42回ユネスコ世界遺産委員会において「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が正式に新たな世界遺産として決定された。その知らせが祝福ムードで報じられる陰で、世界遺産決定へと至る過程において実は、登録申請内容に関し不可解な変更修正が為されていた。

 日本であれば誰もが知る「かくれキリシタン」という言葉だが、その実相はかなり複雑だ。そもそも信教の自由が保障されている今日、人々はまず「かくれ」る必要がない。しかし例えば江戸期のキリスト教弾圧を描く遠藤周作原作の映画『沈黙』公開時などには、「いまも健在のかくれキリシタン」がメディア上で注目されたりもする。周知のごとくこの言葉はつまり、江戸の数世紀をかけて独特の文化習俗へと変遷を遂げた信仰・礼拝の形を、明治期に禁教政策が解除されて以降も守り継承する人々を概括する言葉として一般的に使用される。一方、世界遺産の正式名称中にある「潜伏キリシタン」の語は個別特定的に、江戸禁教期の潜伏キリスト教徒のみを指す。それが長崎県のつくる公式パンフレットにおける見解だ。

 この点に本書は着目する。世界遺産の選定リストから外された生月島へ通い、あるいは「公式見解」に携わった研究者に話を聞き、地方自治体やカトリック教会・バチカン本庁の思惑までも読み込んで経緯を腑分けし、熱心な礼拝習俗が今日も色濃く残る生月島の信仰が公式資料において「現在ではほぼ消滅している」と説明された謎を解く。

 したがって本書に「悪者探し」の企図はない。往時には口伝で受け継がれた祈祷文オラショの朗唱に耳を委ね、ちょんまげ姿の洗礼者ヨハネ図像を追う、その旺盛な行動力に基づいた探求心あふれる筆致は全編で飽きさせない。とりわけ祖霊崇拝や自然信仰と結びついた催事の細部描写は興味深く、また長崎への原爆投下を伴う敗戦直後の1949年のギルロイ枢機卿訪日にまつわる、報道からは隠された交渉を明らかにするくだりなどは良作ノンフィクションならではの興奮を味わえる。

 〝祈り〞のかたちは目に見えるものではないし、ましてや他人が評価したり裁いたりできるものではない。信仰の相違も各方面でうごめく思惑も、世界遺産認定周辺を彩る現象の全体を肯定的に捉えている本書のスタンスには好感が持てる。

 著者はあとがきにおいて、かくれキリシタンの家に生まれたカトリック司祭・古巣馨神父の言葉をリフレインさせ本書を閉じる。明治以降に変容してしまったかくれキリシタン信仰をカトリックと同じとは思い難いとしながら、古巣神父はこうも語る。「もしかしたらね、彼らの方が、教会が置き忘れてきたものを持っているかもしれない」と。

生月島の「かくれキリシタン」追う 「世界文化遺産登録」実現の陰で 『消された信仰』著者インタビュー 2018年8月1日

【本体1,500円+税】
【小学館】978-4093886215

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