【書評】 『神がいるなら、なぜ悪があるのか――現代の神義論』 クラウス・フォン・シュトッシュ 著/加納和寛 訳

 「神がいるなら、なぜ悪があるのか」。この本のタイトルはそのまま、多くの人々の切実な問いだ。そして、誰もが納得できるような答えはまだない。それでも現に、悪、不条理、苦難にさいなまれる私たちとっては、適当に投げ出してしまうことなどできない問いである。そして、いかなる正当化も許されないと思われる「悪」が存在する限り、この問いはもっと執着されて然るべきとすら思える。

 「神義論」という未解決の議論について、悪の区別(例えば「自然悪」と「道徳悪」)、悪の定義、伝統的神義論の概要と長所・短所(例えば伝統的な悪の「善化法」や「無力化法」)、神義論の発展の歴史、自然法則や自由意志に関する論説を考察しつつ、「現代の私たちが受け入れることのできる神義論を描」こうとする本書。原書はドイツの大学生用の教科書として出版されたとのことで、神義論の全体と流れをざっと俯瞰できるのが本書の利点。そもそも神義論とは何かというところが丁寧に解説されているのもよい。

 その「そもそも」について、著者はさまざまな言い方で繰り返し述べている。例えばそれは「全知全能の善なる神を信じている人が、意味の見出せない苦しみに直面したとき、果たしてその信仰は正しいかどうかを議論すること」であり、また「完全に善であり、全能であり、全治である存在(神)は、この世界に意味の見出せない苦しみがあることを許すはずがない」という意見から神への信仰を守ろうとするものであると。

 また、神義論に向けられる「よくある誤解」については、「神義論とは神が正義であると証明すること、つまり人間の理性によって神は正義であると判定することだと思われるかもしれません。実際、神義論はそういうものだと繰り返し言われてきました。しかし、ここで改めて声を大にして言わなければならないのは、神義論とは少なくとも現代においては神を信じる事の正しさに関する議論であり、神が正しいかどうかということに関する議論ではないということです」と。

 筆者は安易な苦しみの意味付けを避けつつ、第七章において、説明も正当化もできない悪や苦しみ(例えばアウシュヴィッツ)という現実の出来事の中で神がどう行動したか(あるいはしなかったか)を考察するための「基準」を提唱する。それはとても繊細なものではあるが、神を否定せず、しかも苦しみをも否定せずに真正面から向き合うための手がかりになることと思う。

 全体を通して、神義論が人間の尊厳と深く関わりのあるものであり、悪の存在ゆえに神を否定しないことには大きな意味があるのだという確信が強められることだろう。

【本体2,600円+税】
【関西学院大学出版会】978-4-86283-260-3

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