【既刊再読 改めて読みたいこの1冊】 『宗教を再考する 中東を要に、東西へ』 武藤慎一

『宗教を再考する 中東を要に、東西へ』(勁草書房、2015年)

 中国にキリスト教が到達した記念、781年の『大秦景教流行中国碑』のレプリカが高野山にあることは広く知られている。一般に「景教=ネストリウス派」と誰もが考えている。しかし著者によれば、「日本では東シリア教会が『ネストリウス派』とよばれてきたが、これは誤った名称(蔑称)なので、使わないほうがよい。もちろん、シリア語圏中心の初期シリア・キリスト教とギリシア語圏のアンティオキア学派の影響を受けた東シリア・キリスト教との間の相違点もある」。著者は、シリアを中心とした古代教父、解釈学の専門家である。ハンス・キュングら現代の神学者が行う中国思想との対話を、すでに1200年前に景教が先駆けていたという指摘は興味深い。

 本書は宗教学の入門書である。「世界規模で脱近代化、再魔術化が進行しつつある今」だからこそ、近代性とは何か、宗教性の意義とは何かを問う。「宗教とは何か……一方的に決めつけるようなことをせず、逆に宗教の側から非宗教に主張を押しつけるようなことも避ける。むしろ、非宗教の側の問いに対して、宗教の側が自らを理解した自己理解を……一般的な言葉、つまり非宗教的な言葉で表現しようと試みる……通訳者、翻訳者のような働き」と執筆意図を述べる。そして、その問いの場として「アブラハム宗教」が地域的・歴史的に相互に結節点をつくったシリアのキリスト教を提示し、地域文化としての各宗教の固有性を尊重しつつ「その独自な宗教どうしの接点や類似点を積極的に探す試みとなっている。

 古今東西の宗教思想を縦横無尽に参照しながら「人間、身体、宇宙」「神、知、関係」「世界、歴史、文化」という主題が深められていく。例えば「親鸞の絶対他力は世界の仏教全体の中では、極端かつ例外的」なことと比して「ルターやアウグスティヌスの考え方は、本来の普遍宗教としてのキリスト教が特殊化、西方(西欧)化を徹底した好例」という指摘に、はっとさせられるだろう。

 読了後、無自覚に前提していたキリスト教、近代、神と自己について読者は新鮮な角度を手に入れるだろう。

【本体2,300円+税】
【勁草書房】978-4326102471

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