【書評】 『未来の余白から』 最上敏樹

 長く国際基督教大学(ICU)平和研究所所長を務めた著者が、雑誌『婦人之友』の連載24篇に書き下ろし1篇を加え、「明日への伝言」を紡ぎ出した。

 エッセイ集であるから言葉の連続なのだが、そこには常に沈黙への敬意がある。著者は旅の想い出、最近観た、あるいは読んだ、欧米の映画や小説、詩について言及する。旅において現実に他者と出会うし、映画や小説においても、虚構とは片付けられない仕方で、まさに現実の他者と出会っている。そしてその出会いを成立させているのが、彼の沈黙である。

 もちろん著者には平和への強い主張がある。だが、平和について膨大な知見を披露するよりも先に、彼は沈黙する。沈黙すること、浪費する表現を削ぎ落すことによって、彼の感性は他者へ、世界へ、すなわち彼の外部へと開かれる。だからこそ、旅で出会う、あるいは映画や小説、詩で出会う他者に揺さぶられるのである。そしてそのような揺さぶりを、ようやく彼は沈黙を破って言葉として語り出す。だからそれは平和に関する独り言とはならず、彼の出会う他者への、そして我々読者への応答となっている。

 「苦難や悲しみに満ちた世界にあって、美しいものに目をとめる義務が私のような立場の者にはある」との思いから、「世界と歴史が悲惨に満ちていることを常に心の隅に置きながら、同時にそこにある美しさや人間の愛おしさを忘れずに伝えよう」と心がけたという。

 「我思うゆえに我あり」。確かにそれも真理かもしれない。だが、「他者あるゆえに我あり」。これもまた真実である。沈黙の中で、世界の音に耳を澄ませる時、耳を澄ますという我の知性が研ぎ澄まされる。博学多才な知の巨人たる著者の紹介する街や芸術作品すべてを見聞することは、読者には不可能だろう。だが、彼が「いかに」それらについて語っているのか。語る内容を図とするなら、その地は彼の沈黙である。

 本文を読み味わいつつ、ささやかな、しかし大いなる沈黙が開かれる。

【本体1,400円+税】
【婦人之友社】978-4829208861

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