【書評】 『キリスト教哲学序論 超越論的理性批判』 春名純人

 著者の指摘するように、そもそも哲学の始まりである古代ギリシャにおいて、哲学は魂に関する宗教的営為であった。哲学が無前提であり信仰は前提だらけであるという近代的理解は、その哲学史に照らしても誤りである。

 デカルトからカントへの流れにおいて、神や世界についての形而上学は後退し、理性についての考察へと道が開かれた。論理的自我が捉えられるもののみが考察されることによって自然科学や諸産業、経済は大きく展開する一方、信仰は論理の余白へと押しやられてしまった。すなわち、信仰は個人の心の平安の問題に終始するようになり、ルターの時代には人々がリアルに信じていたであろう終末や再臨、最期の審判といったものは、象徴として隅っこへと追いやられてしまったのである。

 しかし改革派神学において、イエス・キリストによる贖いは個人の内面的救い(本文では「救拯」と表現)のみに限られてはいない。それは被造物すべてにおよぶ、全宇宙的な救済(ローマ8:18以下)である。19世紀におけるネオ・カルヴィニズムの神学者たちは、カルヴァンの時代にはまだ知られていなかったカント的な問題提起に対して、どのように応答できるのかを考えた。人間の理性を絶対的前提とする哲学的・自然科学的世界観は神への背反であることを、彼らは神学的に考え、そして語ったのである。

 こうした神学的思考はいかにも堅苦しく響くかもしれない。しかし、「自由に語る」ために、先駆者たちが苦労して模索した「かたち」を知ることは重要である。否むしろ、先駆者たちの「かたち」のなかに、先駆者たち自身の生き生きとした信仰的自由がある。本書はアブラハム・カイパーやヘルマン・ドーイヴェールトなど、改革派以外のキリスト教徒には知られていない神学者たちを知ることのできる良書でもある。

【本体6,500円+税】
【教文館】978-4764274280

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