【書評】 『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』 小川たまか

 世界を席巻した「#MeToo」運動を前後して、性暴力、痴漢犯罪、年齢差別、ジェンダー格差、女性蔑視CMなどを取材してきた著者が、自身の被害体験も踏まえて代弁する「声なき者」の声の数々。ジェンダーが異なるだけで、見えている世界がこれだけ違うものかと目が開かれる。

 「夫婦間や恋人の間にレイプはない、なぜなら性的なパートナーとしての契約を結んだのと同じだからとか、人前で泥酔したら襲われても仕方ないとか、性的なことで被害者ぶるのは自慢だとか。ハロウィンで派手な仮装をするのは痴漢してと言っているようなものとか、その場で声をあげなかったら受け入れていたのと同じとか。男性の性被害はないようなものとか」――相次いで報じられる悲惨なニュースを見聞きするにつけ、遅々として変わる気配のない社会構造、立ち塞がるさまざまな壁を前に希望を見失ってしまいそうになる。

 「『ほとんどない』ことにされている」人々は教会にも少なくない。「牧師夫人」問題やカルト被害をはじめ、社会からだけでなく、教会からも居場所を失ってしまった人々の声を取材してきた立場としては、信仰がより問題を複雑化させてしまっていることに忸怩たる思いがする。

 「性暴力の被害は社会から隠されがちだ。それは被害者のための情報規制であることが多いけれど、被害を隠すことは同時に『加害者のため』にもなってしまう。……知られたくない、忘れたい、でも報じられなければなかったことになってしまう。だからこそあえて名前と顔を公開して被害を語る人がいる」

 とりわけ教会内の性暴力が、「報じられない」ことによってどれだけ放置されてきたことか。人権意識を高めるためにも、自らの加害性と向き合うためにも、教会でこそ読まれてほしい1冊。

【本体1,600円+税】
【タバブックス】978-4907053260

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