【雑誌紹介】 教皇フランシスコ ようこそ 『カトリック生活』11月号

 特集「教皇来日決定 教皇さまがやってくる!」。「教皇フランシスコ ようこそ日本へ!」、「ホルヘ神父(教皇フランシスコ)の想い出」(デ・ルカ・レンゾ)、「さあ、みんなで迎えに出ましょうか!――御親さまが来られる、橋をかけるために」(古巣馨)、「教皇が一番伝えたいこと――教皇来日の意義(若者の夢をともに生きる)」(阿部仲麻呂)。

 「教皇来日の意義」についてサレジオ会司祭の阿部が《二十三歳にしてイエズス会修練院にてペドロ・アルペ師と出会ったことがホルヘの大きな転機となります。一九五九年当時、アルペ師はイエズス会日本管区長であり、自ら広島で被爆しながらも、過去にスペインで取得していた医師免許を活かして日本人の治療や生活の復興に尽くしました。その後は、より一層貧しい地域を調査して新たな宣教活動に乗り出す準備をするためにアルゼンチンを始めとする世界中のスラム街の視察を続けたのです》。

 《ホルヘ青年はアルペ師による日本の復興の話題や聖フランシスコ・ザビエルによる日本宣教の歴史の開幕の意義に興味を示し、日本の殉教者たちの信仰心に圧倒されました。日本の人びとの真摯な歩みを理解し、自分も宣教師として彼らとかかわりたいという夢がホルヘ青年の心に芽生えました》。《その日から六十年目が今年です。ホルヘ青年の夢は後年、総長に就任したアルペ師によって却下されました。医師だったアルペ師がホルヘの二十一歳の肺病のカルテに気づいたからです。アルペ師には相手のもっともよい道を準備し適切な助言を与える能力がありました。厳しいけれども適確な指導を与える慈父との二人三脚が、ホルヘを鍛え上げてゆきます》。

 《さかのぼります。ホルヘは十六歳にしてキリストに倣う決意をしながらも、イエズス会に入ったのは七年後でした。決意を実行に移すまでに時間がかかっています》。《どうして七年の歳月が必要だったかと言えば、司祭としての奉仕生活を選ぶのか、大切な女性との結婚生活を選ぶのか、大いに迷ったからです。教皇はあたたかい家庭で育ち、家族愛の重要性を身をもって理解していました。同時に、十六歳のときの回心経験によってキリストとともに生きることの意味にも目覚めていました》。

【本体200円+税】
【ドン・ボスコ社】

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