【書評】 『クラスでケータイ持ってないの僕だけなんだけど』 高橋章子

 三児の母である著者が、小中学生だったころの子どもたちと「ケータイ持つか、持たないか」を巡って繰り広げた「終わりなき攻防戦」を描いているのだが、生きにくい現代を生きる子どもたちと、親として大人として、一人の人間としてどう対峙すべきかという問いが、真っ正面から突き付けられる。

 著者が指摘している通り、ケータイ自体は問題の切り口にすぎない。「大切なのは、日々、様々な事象を前に、にげることなく子も親も向き合って前に進もうとしているのかどうかということ」「子どもとの会話において大事なことは、聞く耳は持っても、異論・持論に関しては『折れない、ひかない』こと」「親子の認識は違ってナンボ。違ってフツーで、違っているから面白い。価値観の違いと対峙し、『VS.』し続ける毎日からこそ、自分には何がどうして必要なのかを考える力が育っていく」

 わが家はクリスチャンホームで、日曜日は模試があろうが、友達の誘いがあろうが有無を言わさず教会に連れて行かれていた。「みんな持ってる」ファミコンも家にはなかったので、他の家庭とはどこか違うと薄々気づいていた。要は時代やこの世の価値観を言い訳にせず、「単独者」として自分はどう生きるかということ。

 いまや教育は、親だけ、学校だけに依存できる時代ではなくなった。個性が「KY」と疎んじられ、「長いものに巻かれろ」と教えられ、「一つになろう」と全体主義を鼓舞され、恥と協調が美徳とされる日本において、「クラスで○○なの僕だけなんだけど」とのつぶやきに、大人たちがどう答えるのか。今日の教育を語る上で、避けられない究極の問いでもある。

【本体1,100円+税】
【朝日新聞出版】978-4022506191

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