【書評】 『精神障害とキリスト者 そこに働く神の愛』 石丸昌彦 監修

 『信徒の友』に2年間連載された「シリーズ精神障害」に一部加筆、修正を加えてまとめられた本書。精神障害を負う方の要望によって 始まったというこの連載だが、統合失調症や双極性障害、依存症などを負う当事者や、当事者と深く関わる人々が、これまでの歩みと経験、知見をありのままに語り、「障害」や「傷」を抱えながらも他者と共に生きようとする姿に心を打たれる。

 本書を監修した石丸昌彦氏の解説とコメントからは、「当事者と共に歩む」可能性と希望が見えてくる。しかし同時に、果たして教会は、「わたし」は、どれだけ「共感的理解」をもって、神の家族として歩んできただろうかと自己批判的な内省に促される。

 石丸氏は、精神障害に対する無理解と誤解を指摘し、定着してしまったそれらを変えることに対して臆病、怠惰であることを「悪徳――罪の存在」であると言い現わし、この状態から抜け出す第一歩は当事者の人々との出会いであり、「会って話して共に過ごし生身の姿を知ること」は、誤解や無理解に対して知識の習得と共感の必要を訴えるような「啓発活動よりもずっと効果的」であると述べる。知識の学びは欠かすことはできないが、障害のある人々を教会に受け入れ続けている牧師も「人は人との関わりの中で人になっていき、成長し、癒されるのだと感じている」と語る。やはり、実際に出会い、会話をし、同じ時間を過ごすこと以上の学びはないということだろう。

 もっとも、出会い、共に歩むということは容易なことではない。当事者であれ関係者であれ、誰もが失敗を繰り返す中で、できることにひたすら専心してきたことは本書からも明らかである。また、そこには教会員や外部機関との協力、連携が不可欠であることも明白である(実際には、協力、連携こそが最大のハードルかもしれない)。その上で石丸氏は終盤でこのように述べる。「するかしないかが問題だ」と。私たちは、互いに「善きサマリア人」になり得るだろうか。なりたいと願うだろうか。神からの問いかけが聞こえてくるようだ。

【本体2,200円+税】
【日本キリスト教団出版局】978-4818410510

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