【書評】 『主の祈り 信仰生活ガイド』 林 牧人 編

 「一時、『とりあえず、主の祈りでも祈ろう』といった場面に出くわすと、心がざわつきました。そんないい加減なことでいいのかと。主の祈りが機械的に消費されていくような気がしてならなかったのです。けれども、だいぶ後になってからハタと思い直しました。『とりあえず主の祈り』でもよいのだと。言葉が先走って、人の思いだけが満ちあふれて空回りするような祈りではなく、主がこのように祈りなさいと教えてくださった主の祈りの中にこそ、自分自身も気づかぬような、私たちが祈り求めるべき事柄がしっかりと詰まっているということを示されたのです」(はじめに)

 月刊誌『信徒の友』に掲載された記事に、書下ろしの「はじめに」と「『主の祈り』の祈り方」を加えて出版された本書。教会は今も「成文祈祷か、自由祈祷か」という「古くて新しい課題」を抱えているが、祈りの訓練の第一歩として、また、「唱えられるが、祈られることはない」(マルティン・ルター)という状態を打破するためにも、「究極の成文祈祷」である主の祈りを学ぶことに意味があると編者の林氏は述べる。その学びで最も重要なのは、ルターが語ったように、「一つ一つの祈りの意味をよく考え、思いめぐらして祈ること」に尽きるだろう(「『主の祈り』の祈り方」)。

 時々、礼拝や集会の場で祈られる「主の祈り」が、あまりにも早い速度で祈られる(唱えられる?)ことに苦痛を感じる時がある。「一つ一つの祈りの意味」を思いめぐらせる時間を、あるいはその意味を思い出すための時間を、あとほんの数秒でも長く設けて欲しいと思ってしまう。けれども、そう思ってしまうのは、まだ本当には主の祈りの意味が心に沁み込んでおらず、自分の祈りとして祈り切れていないからかもしれない、とも思わされた。

 「主の祈り」は、やさしくて難しい。生涯をかけて深める価値があり、深まる可能性をもつ主の祈りの意味をいま一度学び直し、この祈りの豊かさを味わいたい。

【本体1,300円+税】
【日本キリスト教団出版局】978-4818410619

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