【雑誌紹介】 疫病の中で、安息する 『福音宣教』7月号

 月間テーマ「危機に直面して」。「疫病の中で、私たちは安息する」(英隆一朗=イエズス会会員)、「果たして新型コロナは危機なのか」(中田英之=練馬総合病院・漢方医学センター長)、「なぜ、声をあげないのか」(ポール・マッカーティン=聖コロンバン会会員)。

 「近代日本とカトリック教会――山本信次郎研究ノートより」第7回でカルメル修道会司祭の大瀬高司は「邦人最初の東京大司教任命の経緯」について「一九三七年一二月二日に邦人として最初に任命された東京大司教は、後の一九六〇年三月二八日にヨハネ二三世教皇によって邦人最初の枢機卿に親任されることにもなるペトロ土井辰雄師(一八九二~一九七〇)である。邦人最初の東京大司教を任命するということは、パリ外国宣教会に任せていた教区を現地の邦人に任せるということでもあり、首都座大司教区でもある東京大司教区の最初の邦人大司教には、それなりの重責と才覚が求められるものであった」として「岩下壮一師をめぐる動き」について触れている。

 「一九三七年の東京大司教任命に関して、小林珍雄(よしお)氏(一九〇二~八〇)が『岩下神父の生涯』(中央出版社、一九六一年一一月初版、「大司教の呼び声」二五〇~二五一頁)で、岩下壮一氏(一八八九~一九四〇)との関わりについて言及している。

 昭和十二年〔一九三七年〕頃から、各教区の教区長ないし司教も、それまで外人宣教師であったのを、次第に日本人司祭をもって当る気運がおこって、まず東京大司教もシャンボン師が退いて、だれか日本人司祭の中からということになった。任命はもちろんローマ教皇庁からくるわけだが、日本駐在の教皇使節マレラ〔マレッラ〕閣下が候補をあげてローマに連絡する役割であった(マレラ大司教はフランスの教皇大使をへて、いまは枢機卿として教皇庁に勤めている)。

 おそらく東京大司教の重任をきってまわせる日本人司祭は、岩下師をおいては、他にあるまいという噂がとんだのは、この頃のことであり、関西にも、こんな噂が広がった(「声」七八一号六二頁参照)」と。

【本体600円+税】
【オリエンス宗教研究所】

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