【雑誌紹介】 教会の危機ってなんだろう 『カトリック生活』9月号

 特集「ことばを紡ぐことばを奏でる」。最初の「秋吉久美子さんが語る――優れた表現者は、自己愛を突き抜けて人の心を揺さぶる力をもっている」。「神のお計らいははかり知れない、そして、私たちは表現するだけでなく、見極める力、受け取る力も大事なのだと思います」と。

 「カトリック・サプリ」第一七一話で、比較文化史家、バロック音楽奏者の竹下節子がフランスでの公開ミサ停止について「高齢者の中には五月十一日の外出規制解除後も外に出ず、二十四日のミサ再開のときにようやく初めての外出をしたという人も少なくなかった」として竹下は、その日を待っていたセシルという人のことを記している。

 「セシルは三十五歳で『回心』を体験して以来、熱心な信徒となって共同体に積極的に貢献していた。彼女は二カ月以上の間、テレビやネットで配信されたドミニコ会のミサ、聖母被昇天会のミサをとおして霊的聖餐に参加していた。その典礼は厳かで美しく、完璧に進行し、聖歌隊も素晴らしく、説教も今までに聞いたことのない豊かなものだった。……ところが、公開ミサが解禁されて久しぶりに自分の教区に戻ったら、すべては以前のままだった。いや、前よりずっとひどい。不安で陰鬱、みんながマスクをして離れて座り、不吉で打ちのめされたかのようだった。泣きたくなった。もっとひどいのは、聖体を拝領したときに、隔離期間中に見たミサで得られた感動をまったく覚えなかったことだ。セシルは絶望して、どうすればいいのか、と親しい司祭に電話した。司祭はこう答えた」。

 「私たちみんなが『完璧な教会』で行われる『完璧な典礼』を求めているのはわかります。でも、そうしたら、パンと葡萄酒を奉献するときに隣の席にいる人がくしゃみして咳き込んだり、老婦人の杖がタイルに当たって音をたてたり、聖歌隊の子どもたちが落ち着かなく体をゆすったり、歌唱を始める人の出だしの音が低すぎたり、司祭が子どもに話すような調子で説教したり、などのことがあるとその典礼はまったく価値がなく思えてしまうでしょう。でも、こういった不完全な現実の外側には本当の現実のきょうだいの交わりはないのです。私たちを怒らせる人、がっかりさせる人、傷つける人たち。私たちの信仰の妨げになるものこそ、受肉とその限界の神秘なのです」と。

【本体200円+税】
【ドン・ボスコ社】

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