【書評】 『八本脚の蝶』 二階堂奥歯

 キリスト教徒はしばしば、先駆者たちの信仰物語を読むことを通して、自らの信仰を涵養してきた。そもそも信仰物語がきっかけで教会の門をたたき、信仰に至った人も多い。信仰物語の究極は福音書や使徒言行録であろうし、三浦綾子や遠藤周作を読んで信仰に興味を持った人も多いであろう。

 その一方で、信仰に接近しつつ信仰には至らなかった人々の系譜も、私たちの心を惹きつけてやまない。それは例えば芥川龍之介であり、太宰治のような人々である。そして聖書の中にさえ、「呪われよ、わたしの生まれた日は。 母がわたしを産んだ日は祝福されてはならない」(エレミヤ書 20:14)のように、正攻法では読み解くことのできない表現がちりばめられている。

 二階堂奥歯もまた、そうした系譜にある人々の一人である。彼女は本書の中で何度か文語訳聖書を引用する。文語訳には彼女が好む審美的な表現の美しさが備わっている。だが本書後半、彼女の引用は豹変する。彼女は審美性を捨てたかのように、その引用は新共同訳聖書という、いわば「誰でも読める」ものに変わる。追い詰められた彼女にとって、聖書の表現がゴシック的な美を放つかどうかよりも、今生きているこのわたしに語りかける生(なま)の言葉かどうかが重要になった瞬間である。

 この変化を読み取るにつけ、読者は胸を締め付けられるだろう。そこまで聖書に肉薄した彼女は自ら死を選んだからである。厳密には選んだというより、死へと追い立てられたのである。

 「信仰されなければならない神を私は信じない」(同書、103頁)

 著者が命がけで残した言葉に触れて、信仰という行為はそもそも何を指すのか、じっくり考えてみるのもよいかもしれない。

【本体1,200円+税】
【河出書房新社】978-4309417332

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