【書評】 『イエズス会がみた「日本国王」:天皇・将軍・信長・秀吉』 松本和也

 フランシスコ・ザビエルが来日した1549年、日本は戦国時代が終盤に入ったころで、国内情勢は混沌としていた。室町幕府の足利将軍家にはすでに国を治める力はなく、将軍家を支えるはずの細川氏は二手に分かれて対立し、細川氏綱と組んだ三好長慶が畿内の実権を握ることになったが、権力構造は流動的であり、予断を許さない状況だった。時の天皇 後奈良天皇は、朝廷が経済的に困窮していたため、戦国大名の献金によって天皇になってから10年経ってようやく即位礼が挙げられたという有様だった。

 このような状況を、海外から来た宣教師はどう理解し、日本での布教計画を立てたのか。本書では、イエズス会日本書翰集を元に、宣教師がいつ誰を「日本国王」と呼んだのかに焦点を当てて論考する。

 イエズス会は布教を行うにあたり、布教地の権力者と良好な関係性を築き、その庇護の下で領内での布教を効率的に行うという方針を採っていた。そのため、誰が権力を持っているかを正確に把握する必要があったが、日本の場合、その見極めが非常に難しかった。統治機構一つ取ってみても、天皇がおり、将軍がいて、それぞれの「国」を持つ戦国大名が割拠している。

 当初、宣教師たちは権力者たちを「国王rei」「王vo」「領主senhor」「太守duque」「執政官regendor」「統治者governador」「武将capitão」といった語句を用いて表現したが、西洋の枠組みだけでは捉えきれない部分があることを知ると、日本語をローマ字表記にすることで伝えようとした。天皇には「内裏」が、将軍には「御所」や「公方」といった言葉があてられた。

 さらに、天皇と将軍には「皇帝emperador」が用いられた。訳語から考えると、中華思想と関連性があるかのような錯覚が生じるが、それは正しくない。イエズス会では中国の皇帝を「中国の国王rei」と表記しており、「皇帝emperador」を使用した例は確認されていないからだ。

 ザビエルの時代は、布教保護を求める観点から「命令権」「支配権」を有する実質的な権力者を検討し、天皇と将軍を「日本国王」とはせず、戦国大名を日本の一「国王」と捉えた。しかし畿内での布教が本格化すると、やはり天皇・将軍は無視できず、さらに分析を重ねていく。

 ザビエルの後継者たちが畿内の政治的特殊性を把握してからは、「天下tenca」という概念を持つようになり、「天下の君主」として信長、秀吉、家康を認識する。しかし信長に関しては、全国統一を果たしていないことから、「天下の君主」ではあっても、「日本全国の君主」ではないと評価を下す。

 また秀吉は全国統一したが、これによって日本唯一の国王になることはなく、天皇から関白という官職を得て最高の権威と栄誉を得た。そこでイエズス会では、秀吉よりも天皇のほうが地位が上であると看取し、武家の権力者が日本全国を統一しても単独の「日本国王」となるのではないと理解した。

 天皇については、周囲に異教的・呪術的な風習があることを聞き及び、偶像崇拝の象徴として、あるいは神秘的行為による権威を有するために、日本人から敬われていると考えた。これはキリスト教宣教師という宗教者ならではの視点から、天皇の権威の源泉を探ろうとしたものだろう。

 イエズス会の権力者観に関する研究は戦前から始まっているが、従来研究者に最もよく利用されてきたエヴォラ版日本書翰集には改変・省略された部分があることが判明している。現在、未刊史料の収集と翻訳が進められているが、それと並行して新しい視点からの研究が報告されている。その一つが、本書のように西洋人から見た日本の権力構造・王権を明らかにすることで、グローバルヒストリーに位置付けようとする動きだ。

 日本の政治システムは「昔から特殊なのだ」と言って片付けたら、日本単独の歴史として語られるだけで終わるだろう。天皇という特異な存在を、「天皇は天皇に決まっている」と考えるスキームから脱しなくては、グローバルヒストリーの中の日本を正しく捉えることができない。およそ450年前の日本は、海外との対比でどのように受け止められたのか、西洋人の冷徹な目に権力者たちはどのように映ったのか。宣教師という鏡で、西洋と初めて接触した日本の姿を見直したい。

【本体1,700円+税】
【吉川弘文館】978-4642059084

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