【書評】 『近代日本のキリスト者 その歴史的位相』 村松 晋

 昨今の日本プロテスタント史研究は、教会やキリスト者の「戦争協力」、「天皇制」や植民地支配との親和性を追及する論考が主流となりつつある。本書では、キリスト者の信仰・思想を「戦争協力」などの外部的側面からではなく、彼らが当時の社会のなかでどのように生きたかを具体的に見ていくことにより、立体的に描き出し、内在的な要因を明らかにしようとする。

 第一部「天皇と日本をめぐる精神史」、第二部「『地の塩』の群像」、第三部「『日本的キリスト教』という磁場」の3部構成、10編の論考からなり、第二部では、一般には「無名」でも稀有な足跡を遺した川西実三、二瓶要蔵、住谷天来、深津文雄の4人を掘り起こす。川西を考察したものは本論考が初。

 埼玉県知事や日本赤十字社社長を務めた川西(明治22年~昭和53年)は、学生時代に新渡戸稲造・内村鑑三に師事した「社会派官僚」の1人。法哲学者の三谷隆正の妹を妻とし、旧制中学の後輩・矢内原忠雄をキリスト教信仰に導いた。新渡戸の感化を受け、一貫して「低き」ものに視線を注ぎ、「民衆」の政治的可能性を確信していた。国の「統治」のため「民衆」を「大衆」に馴化し、操作しようとしていた時代にあって、川西が持っていた視座と実践は「地の塩」たる生き方そのものだった。

 敗戦の翌年、矢内原が米国キリスト教新聞記者に「戦争中、戦争に反対したる層はどこに求められるか」と尋ねられた際に挙げた2人、住谷・二瓶の生涯と思想も紹介されている。矢内原と恵泉女学園創始者の河井道は、戦争へとひた走る時代を信仰に拠って立ち生き抜いた数少ないキリスト者だったことが知られているが、矢内原だけでなく河井も二瓶に対し深い信頼を寄せ、恵泉初の卒業式で二瓶に礼拝を任せている。

 「我が国は神の国であつて、神の特別の加護があつて何時も神風が来る等と思ふのは最も危険である。只正義と誠とを行つてこそ神の加護もあるのであるが、正義なき所には神の加護は来らざるのみならず、反つて刑罰さへ来るであらう」(二瓶要蔵『宗教』)

 軍部が主導するナショナリズムが席巻するなか、二瓶は「我が国」を「神の国」とする独善的な神観に異議を唱え、倫理性を帯びた応報的存在である「神」の御旨に反するならば、むしろ刑罰を与えられるだろうと質した。

 二瓶よりも早い時代に生まれた住谷(明治2年~昭和19年)は、「平和主義の積極的半面は殖産であります」といい、世界大戦に加担しようとしている祖国を前に、「真実なる平信徒」が興されることを願い祈った。

 近代日本で進行していた腐敗を、それぞれの持ち場において食い止める「地の塩」の役割を果たした人々には、それを裏づける信念があり、互いをつなぐ交流圏によっても支えられていた。彼らが語った言葉は、「愛国」をめぐる語りが高揚するいま、想起される必要があるだろう。

 世間的名声という光には当たっていなくとも、信念をもって意義ある働きを成し遂げた近代日本のキリスト者たち――。その揺るぎない生涯を知ることで、静かな勇気が湧き上がってくる。

【4,950円(本体4,500円+税)】
【聖学院大学出版会】978-4909891068

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