【雑誌紹介】 神さまを吸収しようとしている… 『カトリック生活』7月号

 特集「子どもの祈り」。「特集によせて=神さまの子どもとして」で関谷義樹編集長が言う。

「あるカトリック幼稚園で、月に二回ほど宗教を教え始めて三年目になる。

 それまで、教会や学校で、中高生や大人に向けての話をする経験はしてきた。だが、園児という年齢層にお話をしたことはほとんどなく、始める前はとても不安になった。なにぶん相手が小さすぎる! 話を聞いてくれるかな、どうやって話せばいいのかな、理解してくれるかな、どんな言葉遣いで話したらいいのだろう…など、あれこれ考えこんだ。

 しかし、実際に教え始めてみて、そんな不安や迷いは吹き飛んだ。何より子どもたちは、きらきらした眼差しで、一生懸命に聞き、一緒に歌い、一緒に祈ってくれるのだ。もちろん、いつも反省と試行錯誤の繰り返しだが、毎回の子どもたちの笑顔に励まされて続けている。

 最近では毎回、最初のあいさつの後、少し黙ったままキョロキョロとみんなを見まわしてから、大きな声で『元気ですかー?』と質問する。すると、子どもたちは待っていたかのように、手を挙げて嬉しそうに『ハーイ!!』と答えてくれる。この瞬間がとても好きだ。

 全身全霊という言葉を、彼らはまだ知らない。だが、その言葉どおり、子どもたちはその場、その瞬間を一生懸命に生きている。彼らは、自らの感覚と感性をすべて開いて、よいもの、神さまを吸収しようとしていることがわかる。

 ある日、教えの時間の前に、ちょっとした遊び時間があって子どもたちが数人嬉しそうに寄ってきた。そのうちの一人の子が急に、『神父さま!神父さま!』とコールしながらぴょんぴょん飛び始めると、周囲の子たちも同じく真似て、一斉にコールしながら私の周りを飛び跳ね回るのだ。

 こんなにピュアで単純な歓迎を受けたのは人生でおそらく初めてではなかったろうか。歓迎というと、いろんな意味合いが付随するが、簡単にいうと『あなたがそこにいてくれてうれしい』という心。子どもたちは、友だちに対し、また安心できる大人に対して素直にそういった喜びを表現するのだ。子どもは、大人のように打算や忖度で人間関係を構築しようなどとは思わない。ただ純粋に、単純に、誰かの『おともだちでいる』あるいは『おともだちになる』ということを大人よりも実践しているような気がする」

 特集は「神さまに詩をおささげしよう!――暁星小学校の子どもたち」(横田優里=暁星小学校宗教科)なども。

 連載では他に来住英俊(御受難会司祭)の「〝キリスト者〟と〝思想〟の交差点=139回=理解を発信し、共有するための言論メディア」など。

【220円(本体200円+税)】
【ドン・ボスコ社】

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