【雑誌紹介】 必要なものだけで生きる 『カトリック生活』8月号

 特集「清貧のすすめ」。「アシジの聖フランシスコが生きた『貧しさ』」(小西広志)。

 連載「カトリック・サプリ=清貧」で比較文化史家・バロック音楽奏者の竹下節子。「過去のフランスでは司祭職になることは社会的なステイタスを獲得することだった。みながカテキズムを受けて、優秀な子どもは司祭の勧めで、教区の小神学校でラテン語・ギリシャ語を含めた高い教育を無償で受けることができた。出身階級にかかわらず司祭職をとおしてエリートになる道があったのだ」

 「ところが、今のフランスで司祭職を希望する若者の多くはブルジョワ家庭の出身で、高学歴でエリートの道を進み始めた後で聖職を目指すことが多い。結果として、生まれ育った家庭よりも『貧乏』になる。社会的ステイタスを貧富で測る今の世界では『下級国民』となるわけだ。移民の子弟や低所得家庭階級の若者は、スポーツやスタートアップ、ユーチューブなどによって金を稼ぐことで『成功』を夢見る」

 「つまり、カトリック教会を支える信徒が保守的なブルジョワ階級であり、そこで育った若者が召命を得て、質素な暮らしの中で移民やホームレスの世話をするキリスト教社会主義を目指す司祭となるという『ねじれ』があるわけだ。彼らの質素な暮らしの目的は、『持たないこと』ではなくて『与えること』にある。貧しいことと惨めなことは別物だ。貧しさとは、必要なものが得られないことで苦しむことでなく、必要なものだけで生きるという選択で、それによって生まれた剰余で惨めな状態にいる人を救う」

 「四世紀の教父カイサリアのバシレイオス(カエサレアのバシリウス)は、『あなたがとっておくパンは飢えた人のもの、タンスの中の外套は裸の人のもの、溜っていく靴は裸足の人のもの、貯めている金は困っている人のもの。あなたが与えようと思えば与えることのできる人の数だけ、あなたは不正の中にいる』と言った。恵みを堰き止めることが『罪』なのだ。『恵まれた若者』が『与えること』に舵を切る」

【220円(本体200円+税)】
【ドン・ボスコ社】

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