【書評】 『宗教と過激思想――現代の信仰と社会に何が起きているか』 藤原聖子

 「イスラム原理主義」に代わり、2000年代後半から使われるようになった「イスラム過激派」という呼称だが、「過激派」という著しくマイナスのイメージを帯びた単語が「イスラム」と共にひんぱんに使われることによってイスラモフォビア(反イスラム感情)が煽られているとの指摘がある。

 宗教的過激思想については、根絶しなければならないと断じられる割に、それが何を指しているのか十分に認識されているとは言いがたい。本書では、宗教に関して使われる「過激」という言葉の内実や「過激思想」の特徴を捉え、からまった概念を解きほぐす。扱う対象はイスラム教系に限らず、キリスト教系、仏教系、ユダヤ教系、ヒンドゥー教系、神道系に及ぶ。

 第一章では、イスラム教系過激思想を取り上げる。2010年代に台頭したISの前にもイスラム国という教団があり、そのスポークスマンであったマルコムXは過激な発言からメディアの寵児となった。伝記映画は日本でもヒットし、ヒップホップ文化の隆盛と共に「カッコイイ」と評され人気があるが、その思想の淵源を探っている。

 第二章ではキリスト教系過激思想。ラテンアメリカの「解放の神学」もその一つであり、奴隷制廃止運動家ジョン・ブラウンは「テロリストの父」とまで言われる。現代においてはプロ・ライフ派のように「命のために命を奪う人々」を考察。日本では山村慕鳥にも言及する。

 第三章では、一般には非暴力のイメージがある仏教系の過激思想をみていく。「一神教はテロや戦争を起こすけれど、多神教や仏教は寛容だから平和だ」という宗教論が、日本ではよく聞かれるが、果たしてそうかという点に切り込む。「一人一殺」を掲げた日蓮宗僧侶による戦前の代表的テロ事件をはじめ、オウム真理教の「ポア」、急増するチベット仏教僧の焼身・抗議運動にも目を向ける。日本語では「焼身自殺」と報じられることもあるが、当事者たちは「捨身飼虎」になぞらえた「慈悲行」であると捉えている。

 第四章は、ナショナリズムと親和性の高いユダヤ教系、ヒンドゥー教系、神道系過激思想について。ヒンドゥー・ナショナリストは、ヒンドゥーは民族宗教ではなく普遍的な真理であると主張するが、この論法は、日本のいわゆる「国家神道」を支えた思想とよく似ている。「神道は宗教ではなく、国家のための公的な祭祀である」と定義し、神道祭祀を全国民に強制した。

 第五章では「過激派」と「異端」との違いを検証。なかでも悪魔崇拝(サタニズム)に重点を置いて項を割く。17世紀まで「悪魔」は一貫して嫌悪すべきものであったが、18世紀になるとダーク・ヒーロー化する。転機となったのはロマン主義文学だったが、その後オカルトの流行に伴って悪魔崇拝を公言する者たちが現れる。20世紀後半にはヘヴィメタルと結合し、若者たちに「カッコイイ」ものとして受け入れられた。

 終章では、各章で取り上げた代表的な宗教的過激思想を通覧し、共通点を抽出。その特徴を読み取り、総括する。著者は「おわりに」で、現在の日本社会について付言する。「無宗教」を自認する人が多いことが日本の特徴だが、陰謀論なども広義の宗教的言説ととるならば、強固な信仰を持った人たちが国内で存在感を増していると言えるのではないかと。

 政治学者の秦正樹氏は、自分が「他の多くの日本人と同じような意見を持っている」と思う人ほど、つまり「普通の日本人」を自認する人ほど、陰謀論やネトウヨ的言説を信じやすいという調査結果を発表した。何の宗教も信じておらず、政治的にも右でも左でもない、しかし自分の信じるものによって言葉の暴力を振るう人たちは、自覚のない「過激性」を帯びていると言えるのではないだろうか。

 アメリカでは陰謀論を信じるトランプ前大統領の支持者たちが連邦議会を襲撃した。最近では、思想・宗教よりもデマやソフトな陰謀論が引き金となって事件が起こることが多いが、宗教的過激思想を鏡にして、自覚のない「過激性」にも気づき、注視していく必要があることを教えられる。

【946円(本体860円+税)】
【中央公論新社】978-4121026422

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