【書評】 『聖ニューマンの生涯』 柳沼千賀子

 英国国教会の司祭からカトリックへと転会し、枢機卿に叙され、2019年に列聖された聖ニューマン。聖性と苦渋に満ちたその生涯を、本書では時代背景から魂の軌跡、神学的思索に至るまで綿密にたどり、時系列にしたがって平易な言葉でつづる。

 1801年、ロンドンに生まれたニューマンは24歳で英国国教会の司祭になった。当時イングランドは宗教改革を経て築かれたプロテスタンティズムを基軸とする国家体制が敷かれており、1778年施行の「カトリック救済法」によってカトリック教徒への法的な差別は撤廃されたものの、エリートは英国国教会に属し、カトリック教徒は被支配層となる社会構造が残っていた。一方プロテスタント教会は腐敗し、教会を治める国の政治も混迷状態にあった。そんな中で起こったのが、教会の霊性を取り戻そうとするオクスフォード運動。若きニューマンはその旗手として『時局冊子』を発行し、人々の心を集めた。

 英国国教会とローマ・カトリック教会の教義を照査したニューマンは次第にカトリックに惹かれるようになり、41歳で司祭職を辞任。44歳でカトリックへの転会を決意した。しかし英国国教会からは裏切り者と呼ばれ、カトリックからはその考え方に疑いをもたれ、ニューマンの居場所はどこにもなかった。孤独のなかで神学的思索を深めたニューマンは著作をしたため、カトリック司教の推薦で司祭に叙されるまでになった。誹謗中傷で友人を失うも、ひたすら神の恩恵に目を注いで祈りに専心し、53歳で学識と見識を見込まれてカトリック大学の総長に就任。

 ニューマンの言動は常に注目の的となり、理解のない言葉を浴びせられることも多かったが、聞き流して耐えた。ただ、牧師でケンブリッジ大学教授のキングスリーからの非難は看過できず、『アポロギア』(弁明の書)を発表。身を削る努力で書き上げたこの大著によって敵意を抱いていた人々の誤解が解かれ、ニューマンに対する同情と尊敬がイギリス中に広まるようになった。翌年、64歳で著した長編の詩『ゲロンシアの夢』も恩寵の恵みがあふれていると好評を得、キングスリーさえも賛嘆した。

 晩年は静かな祈りと思索の生活のかたわら、修道院で弟子たちの指導をしていたニューマンだったが、1879年、78歳で枢機卿に叙された。これは司祭から枢機卿に選ばれた最初の例。枢機卿としての紋章はラテン語で「心が心に語りかける」を選んだ。この称号を得たことが、彼の名誉を完全に回復させることとなる。ニューマンは、英国国教会にもカトリック教会にも改革が必要であることを洞察し、教会本来の姿を取り戻すために行動してきたのだと。

 1890年、89歳で帰天。棺は「心が心に語りかける」と書かれた布で覆われ葬られた。ニューマンの成し遂げたことの一つは、英国国教会とカトリック教会との和解。彼の死後100年以上経った2010年、エリザベス女王は正式にローマ教皇を英国に招待した。これは両教会が分裂してから初めてのことで、招待の理由はニューマンの列福式を執り行うためだった。もう一つの功績が、第二バチカン公会議への影響。カトリック教会の刷新を企図した同会議の参加者には事前にニューマンを研究してくるようにと通達が出されていた。

 明治期以降キリスト教文化を受け入れようとした日本の有識者の中にも、坪内逍遥、上田敏、植村正久、熊野義孝、岩下壮一などニューマンの著作を愛読した人たちがいた。マザー・テレサが毎朝のミサ後に唱えていたのも、彼の「キリストの輝きを放つ」という祈り。また、プロテスタントの『賛美歌』(日本キリスト教団出版局)にも彼の歌詞による賛美歌が3曲収められている。日本ではニューマンのことはあまり知られていないが、名前は知らずとも、すでにどこかで「出会っている」のかもしれない。

【1,540円(本体1,400円+税)】
【教友社】978-4907991722

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