【書評】 『遺跡が語る聖書の世界』 長谷川修一

 最新の聖書考古学への関心は高い。その「関心」とは、遺跡から発見されたモノによって聖書の記述が裏づけられ、リアルに感じられることへの「期待」ともいえる。雑誌『福音と世界』で2019~20年にかけて連載された全24回の内容に加筆修正して単行本化。「ワイン」「ファッション」「住まい」など、親しみやすい切り口から聖書時代に生きた人々の暮らし向きが語られる。

 著者は筑波大学大学院博士課程単位取得退学後、テルアビブ大学大学院に進み、北イスラエル王国の興亡を周辺諸国の動向と関連づけて論じる博士論文で評価を受けた。本来は別の分野である金石文学、考古学、旧約聖書学を総合して、研究対象を多角的・実証的に浮き彫りにする研究が認められ、2014年日本学士院学術奨励賞を受賞。現在は立教大学文学部教授を務める傍ら多くの著作を手がけ、数千年前の聖書の世界を一般の人にも身近に感じられるよう届けている。

 著者がイスラエルにおける日本調査隊の一員であることも、聖書世界の臨場感を伝える大きな要素となっている。2016年、下ガリラヤ地方のテル・レヘシュ遺跡の発掘に従事し、会堂の発見・発掘に立ち会った。テル・レヘシュのローマ時代の集落は小規模で住民は数十人ほどだったにもかかわらず、立派な会堂が発見された。当時の人々が会堂を重要視し、ここで学習する律法を大切に考えていたことが推察される。

 発掘によって会堂の構造も明らかになり、中心部を四方から切り石のベンチで取り囲む方形の会堂であったことが分かった。ベンチで囲まれた空間では、律法が朗読されたりしていただろう。ルカによる福音書には、イエスが「いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとお立ちになった」とあるが、朗読する人がベンチから立ち上がって、皆の中央に立って読み上げた様子が浮かび上がってくる。テル・レヘシュはナザレから直線距離で16キロ。ガリラヤ中の諸会堂で教えたといわれるイエスが、テル・レヘシュでも教えていたかもしれないと思うと感慨深い。

 一方、聖書の記述とは異なる結果が導き出されることもある。ヨシュアの攻城戦で有名なエリコは、20世紀前半に始まった考古学的調査によって、ヨシュアが活躍したと想定される時代に城壁はなかったと判明した。エリコの壁の物語は、仮にそこに史実の核があったとしても、ヨシュアの時代に起きた出来事ではなかったということになる。

 「戦争」についての項では、ゴリアトの武具やダビデが得意とした石投げのひもがどんなものだったか、外国との戦いに投入された戦車や騎兵はどこに由来するかなど、視野をオリエント世界全体に広げて探る。著者が現地で撮影した遺構やレリーフの写真も、当時の様子を生き生きと思い描かせてくれる。聖書が戦争とその惨禍についてもしばしば言及しているように、戦いと破壊の痕跡も多く発見されている。ニネヴェ出土のレリーフにはアッシリア兵によって杭にかけられたり皮を剥がれたりする人々、捕囚となって連れていかれる姿が刻まれている。しかし、ヨシュアたちがエリコの町の住民たちにした行為よりも残酷だったといえるのか分からない。

 戦争の痕跡をどう伝承・記憶していくのかは、「歴史」における大きな問題といえよう。著者は現代日本における「歴史」の語り方についてこう述べる。「日本では近年、自らが戦時中アジア諸国に与えた加害の記憶を消し去ろうとする試みも顕著である。こうした被害/加害の『記憶の消去』は、いずれも時の権力が自らに都合のよい『記憶』を創出せんとする試みであるが、他方で『被害記憶の強調』にもこうした力学を見て取ることができる。例えば、現代イスラエル国家において、ホロコーストがパレスチナにおける建国の正当化に利用されているように見えることが(筆者には)ある。もちろん、ホロコーストなどの悲惨な歴史をしっかりと語り継ぐ必要があることに疑いはないが、そうした歴史を、その時々の政権が自分たちのイデオロギーを正当化するための政治的道具として用いることに対しては、わずかなりとも警鐘を鳴らしたい」

 完全に中立な「歴史」の記述は難しいが、だからこそ国家や民族のイデオロギーを超えた認識を作り出すために不断の努力が必要であると、著者はいう。考古学による聖書の裏づけだけを「期待」して本書を開けば、半分は満たされ、半分は外れに終わるかもしれない。しかしそのような「期待」を捨て、自分のイデオロギーを超えて、遺跡が語る聖書の「歴史」のみに耳を傾けるなら、今日を生きる上でも大切な知恵が得られるに違いない。

【2,310円(本体2,100円+税)】
【新教出版社】978-4400213314

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