【書評】 『私の親鸞 孤独に寄りそうひと』 五木寛之

 「自分は人間として許されざる者である――心の中にひそかにそういう思いを抱きながら二十代を過ごし、やがて三十歳を過ぎた頃、偶然に親鸞の考え方や教えに触れることになります。/そのときはごく単純なものでした。いかなる人といえども、どんなに深い罪を抱いていても救われる。あるいはまた、人間というのは全て悪を抱いた存在である。いわゆる悪人正機といわれる考え方ですね。/私はそれを、自分のような人間でも生きていくことができる、生きていく権利があるんだと単純に受け取りました。そのときは本当に、『ああ、ひょっとすると、この人の考え方によって自分は救われるかも』という感覚がありました」

 それから半世紀以上、著者が親鸞という存在を考え続け、新潮講座で語りおろした内容が1冊の本にまとめられた。「罪と悪」、そして「救い」というテーマを氏が追い求めずにいられなかったのは、少年期に満州からの引き揚げという壮絶な体験をしたから。

 「私たちがかつて植民者の一族として、かの地に君臨していた時代があった。そのこと自体がたいへんな負い目であり、それと同時に、ソ連軍の野蛮なふるまい、戦争直後の状況下で起きた言葉にできないような様々な出来事に関して、自分が一方的被害者ではなかった。そのことを思い返すと、どうしても言葉が出てこないのです」

 例えば、国境線を越えるトラックに「あと二人乗れる」と言われて、仲間を蹴落として乗り込むしかなかった。夜、日本人が避難している倉庫にソ連兵が自動小銃を持って押しかけ、「マダム、ダヴァイ(女を出せ)!」と迫る時、日本人同士が話し合い「いけにえ」として何人かの女性を差し出す。送られた女性が戻ってこない場合も、朝方ボロ雑巾のようになって戻ってくることもあったが、日本人たちは犠牲になった女性たちを「悪い病気をもらってきたかもしれない」と忌避した。収容所では感染症が蔓延し、このまま死ぬよりはと子どもを売る親も多かった。五木氏自身、混乱のさなか母親を病で亡くし、幼い妹と弟の手を引いて引き揚げの日々を送った。

 「私ども人間は、生きていくためにさまざまな罪や悪を犯しつつ生きています。しかし、だからと言って、罪や悪を抱いている人間に生きていく資格がないわけではない」

 親鸞の言葉は「自分も生きていくことが許される」という深い感動を与えたのだ。氏は、「日本人には恥の感覚はあるが、罪の感覚はない」という見方に違和感を覚えるという。罪に対して感覚的に欠如しているのではなく、宗教意識の深いところでちゃんと持っていて、だから親鸞も罪を問題としたし、念仏、悪人正機、他力という考え方が生まれたのだと。

 親鸞の生涯の半分は誤解との戦いだった。他力という弥陀の本願が自分たちを守ってくれるのだから何をしてもいいという「本願誇り」や、業が深く罪深い悪人ほど深い慈悲に救われるのだから、いっそ悪い行いをした方がいいのだという「造悪説」。親鸞はそれらを批判するものの、そういった考えに走った者を除名処分にすることには疑問を呈した。五木氏はそんな親鸞に「優しさ」を感じたと語る。

 しかし、近代になって浄土真宗や親鸞に関する研究や学術的分析が進むと、親鸞は庶民の思いとはかけ離れた存在になってしまった。氏は大学で仏教史を聴講したが、勉強すればするほどに温かみのある親鸞が遠ざかっていくように思えた。そこで、バラバラでなく一人の生きた総体としての親鸞を、声も息づかいも感じられるような存在として描きたいと考え、小説を上梓するに至った。

 昭和から現代まで、常に注目を集める作家として活躍した著者のライフストーリーは、そのまま日本のたどってきた道のりと重なる。いま再び『歎異抄』ブームがきているというが、人々は何を願って親鸞の言葉に耳を傾けるのか。意識の深いところで己の罪を感じ、「生きていくことが許される」境地を願う人間の本性。抗うことのできない悲しみを抱えた心に、その「優しさ」が沁みる。

【1,485円(本体1,350円+税)】
【新潮社】978-4106038747

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