【書評】 『死者の力:津波被災地「霊的体験」の死生学』 高橋 原、堀江宗正 著

 津波被災地からしばしば聞こえてくる幽霊譚。死者の霊魂が存在するか否か、それを「幽霊」と呼ぶか否かの判断は置くとして、「幽霊」の目撃談があることは事実で、一般紙の報道や「NHKスペシャル」などでも取り上げられてきた。本書では高橋原(東北大学)と堀江宗正(東京大学)の両氏が現地でのアンケート調査と聞き取りを元に被災地での霊的体験に取り組み、「死者の力」、すなわち死者との連帯が共同体や社会にとって持つ意味を考察する。

 研究のきっかけになったのは、宮城県で緩和ケアのクリニックを営んでいた故・岡部健医師の「いま被災地では集合的無意識が噴出している」という言葉だった。「集合的無意識」とは、人類に共通している心の奥底の古層を意味するユング心理学の用語。二人の著者は過去の学問的議論を踏まえ、岡部医師が示唆した課題に向き合い研究を始めた。

 当初、高橋氏は幽霊話収集に気乗りがしなかったという。ステレオタイプな怪談風の断片が集まるだけではないかという予感に加え、死別の悲嘆を抱えた人々の住む土地に行って「幽霊を見た人はいませんか?」と聞いて回ることをためらわずにはいられなかった。しかし、恐ろしい幽霊にまつわる相談を持ちかけられた宗教者たちは、どのように対応しているのかというテーマには関心があった。

 僧侶、神職、牧師らを対象に設問調査を行い、回答から「心霊現象」観と相談者への対応を読み取った。地域には「オガミヤ(拝み屋)」と呼ばれる霊能者もいるが、人々はニーズによって使い分けているようである。高橋氏は丁寧な傾聴と、「供養」「祈祷」など儀礼の力に注目する。

 キリスト教界からの回答は26件(14教派)で、サンプル数が少ないからか、質問と回答がかみ合っていない傾向が見られた。たとえば、「幽霊」などの「心霊現象」について聞かれて、聖霊(神の霊)やサタン(悪霊)について回答することが多い。「霊」の世界の出来事がキリスト教の世界観における善と悪(神と悪魔)の対立という原理の中に回収され、無念を抱いて死んでいった津波の死者や、残された人々の物語や苦悩が置き去りになってしまっていないだろうか、と高橋氏。

 被災地での霊的体験の調査は、霊の実在を断定しようとするものではないかとの批判を受けることもあった。基本的に霊魂の存在を認めない仏教では、教義上の問題として議論された。しかし、被災者の霊的体験を理解するスタンスに立つ意味は大きい。堀江氏は、物語ることを通して死者の存在感や実在感が立ち現れ、多くの人が論じられる言葉に変換することができると主張する。

 「結論」で堀江氏は、「今日様々なメディアで流布しているファンタジーやサブカルチャー作品の物語は、世界中のあらゆる時代の物語のパターン化された要素を再構成して作られている。もともと、神話学者、言語学者、宗教学者、民俗学者がおこなってきた物語の収集と類型化が、新たな物語の創出につながっている」とし、「霊についての様々な宗教的、神話的な物語、また民間伝承や噂話、怪談の類いから、なじみ深いパターンが共有されており、体験に応じてそれが召喚され、体験そのものを筋立ててゆく」と推察する。それは岡部医師が指摘した「集合的無意識」の噴出とも重なる。

 「東日本大震災のような災害によって多数の死者が局所的に集中して発生すると、いわば集合的『お迎え』が必要な状況であるにもかかわらず、突然死なので成り立たないという状況が生まれる。そのことは、生きている人にも死者が無事にあの世へ行ったのかという疑念と混乱を生じさせる。そのような体験をした被災者が多いために共鳴し合い、その時代、その地域に特有の仕方で、霊にまつわる集合的無意識が一気に特定のイメージを伴って現われることがあるかもしれない」

 そして、「死者の力」は多義的であるとしながらも、「故人が死後も霊として生きているということが、生者にとって存在感を伴って体験され、一定の意味を帯びることで、生者を方向づける。その時、霊は生者にも死者にも共通する命の原理であると自覚され、両者の間に連帯感が生まれる」と、死を経てなお生きる力を論証する。

 震災から10年――。被災地の人々は死者をさまざまな形で語り、何度も語ることで物語を紡ぎ直しながら、痛み苦しみを癒やし、生きる力を取り戻していった。実証的研究によって見えてきた幽霊譚にひそむレジリエンス。「死者の力」は生者によって引き出され、悲嘆の底にある人々の内的世界を再構築した。起こった出来事に意味を与えることで本来の自己のあり方を回復させた、もう一つの「復興」があったことを心に留めたい。

【2,640円(本体2,400円+税)】
【岩波書店】978-4000614894

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