【書評】 『ガラシャ つくられた「戦国のヒロイン」像』 山田貴司

 明智光秀の三女として生まれ、「謀反人の娘」ゆえに幽閉されるも、信仰を得てキリシタンとなり、関ヶ原合戦の前に悲劇的な最期を迎えた細川ガラシャ――。NHK大河ドラマなどでは「美しい女性」として描かれているが、そんな「戦国のヒロイン」像はどこから生まれたのか?

 2018年熊本県立美術館特別展「永青文庫展示室開設10周年記念 細川ガラシャ展」を担当した福岡大学准教授の著者が、歴史的に見たガラシャとそのイメージの変遷を追い、1冊にまとめた。

 光秀の出自や一族の来歴、キリシタンになるきっかけ、夫婦関係、子どもたちのその後など、先行研究を引用しながら柔らかい筆致で綴り、ガラシャの生涯が俯瞰できるよう構成。光秀やガラシャに関する研究は数あるが、主な論点を時系列にそって偏りなく紹介することで、初心者から上級者まで対応する内容となっている。

 ガラシャの生涯では悲劇的な死が印象深いが、著者は、「①なぜ、ガラシャは死を選択したのか」「②彼女の死はキリスト教の教えに背かなかったのか」「③誰が一緒に死を迎えたのか」という三つの観点から考察する。特に②に関しては、キリスト教では自殺が禁じられており、他者に指示して自らを殺害させることも同様とされるため、長年議論されてきた。

 実はガラシャ自身、この問題をあらかじめ宣教師オルガンティーノに質問している。イエズス会報告書には、オルガンティーノからの返答を受けて、彼女の「心が落ち着いた」と記されているが、その内容がどんなものだったかは記録にない。研究者の安廷苑氏は、オルガンティーノが「日本の戦国武将の自殺に関するヴァリニャーノの見解」を念頭に答え、それが彼女の心を落ち着かせたのではないかとしている。またそれは、日本の武家社会における危機管理のあり方に則した、最大の「適応」と評価されると。

 著者はガラシャの死後、西軍の人質取り扱いをめぐる方針が転換したことを示し、「ガラシャの最期は、ひとりの大名夫人の悲劇的エピソードに留まるものとは言い難い。利用されたにせよ、あるいは抑止をもたらしたにせよ、政治性を強く帯びた歴史的出来事だったと、改めて認識されるのである」と結論づける。

 今では驚くべきことだが、「ガラシャは自分が産んだ2人の子どもを殺害し、自殺した」という巷説が広く流布し、信じられていた時期があった。江戸期から20世紀はじめごろまで、ガラシャにはそんな「鉄板エピソード」が定着していたのだ。キリシタンであったことは伏せられ、家の名誉と徳川家への忠節を守った模範的な女性として明治期の『女子修身訓』など、道徳書に取り上げられていたほどだった。そんなイメージが転換するのは、近年の歴史研究の発展とキリスト者たちの発言によってであった。

 一方で、ヨーロッパでは宣教師の報告書を読んだ作家たちが、日本とは異なるガラシャ像を作り上げていた。それはガラシャを「殉教者」とする像。「美しい女性」というイメージもこのころに生じ、後年日本に逆輸入されたと考えられる。そのような像がどう修正されていったのか、また近代日本においてガラシャは絵画や小説でどのように描かれてきたのかを資料を挙げてたどる。

 本書には、現在までに判明している史実と有力説が紹介されているが、これからも研究によって「戦国のヒロイン」像は変遷していくのだろう。しかしなぜこれほど長く、ガラシャは人々の関心を集めてきたのか。その謎はまだ十分には解明されないまま残されている。

【2,200円(本体2,000円+税)】
【平凡社】978-4582477511

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