【書評】 『見えない世界を可視化する「哲学地図」』 河本英夫 編

 コロナウイルスと真偽不明な情報という、目には見えない侵入者が跋扈(ばっこ)するスクランブル交差点。人々はそこを行き来するが、予測不能で不確実性に満ちた世界では伝統的な価値規範は通用しない。見えない世界を可視化する地図が必要だ。そんな問題意識を共有する哲学者たちが本書を編んだ。テーマを専門とする研究者がウイルス、情報、性、民族、国家、権力、暴力、陰謀、環境問題などを多元的に論じる。

 第1章「情報とウェルビーイング」では信原幸弘氏(東京大学名誉教授)がフェイクニュースについて論考。情報は信頼性が命であるとされるのに、いま世の中ではネットを中心にフェイクニュースがあふれている。なぜ誤った情報がかくも拡散するのか。人々が誤りに気づかないためか。そんなことはない。誤った情報でも、それに基づいて行動しなければさほど実害はない。フェイクニュースは大量に生産され消費されているが、人々は行動に役立てるのではなく、ほとんど「娯楽」として消費している。面白ければそれでよいというわけだが、果たして私たちのウェルビーイングを向上させるのだろうかと問う。

 第3章「自覚なきアモータリズム」で岩崎大氏(東洋大学非常勤講師)は、現代人がアモータル(非死)を志向していることを提示する。これは「いつまでも健康で美しくありたい」という感情や、「死の苦しみのない平和な世界をつくりたい」という素朴な善意から来ているもので、イモータル(不死)とは区別される。しかし生命に終わりがあるように、アモータルにも同様の限界がある。そこに至ったとき、人間は何を求めるのか。ニーチェが予言した徹底したニヒリズムかもしれないと推論する。

 第9章「陰謀論を無毒化する」において野村智清氏(秀明大学専任講師)は、Qアノンに代表される「宗教的信仰の一形態としての陰謀論」を考察する。近代陰謀論の源流は、18世紀に展開されたバリュエルとロビンソンによるフリーメイソン・イルミナティ陰謀論とされる。近代化という急激な社会変化に不安をもったり、うまく対応できなかったりした人々が、その責任を誰かに帰そうとしてフリーメイソンやイルミナティを犠牲の羊に供した。

 一般に、陰謀論は「真面目に検討するに値しない奇妙で不合理な主張」「何でもかんでも『陰謀』で説明しようとする荒唐無稽で妄想症的な主張」とされ、陰謀論者は精力的に活動し、客観的事実を提示されても自らの陰謀論を修正することはないと考えられてきた。しかし野村氏は、陰謀論を「本当かもしれない」と思う人がいることを重視し、陰謀論者側からの見え方を考慮に入れて、陰謀論を再定義する。すなわち、陰謀論とは、(1)陰謀によって世界が動かされているという正しい主張は隠ぺいされており、(2)正しい主張をするいわゆる「陰謀論者」は陰謀を企てる側からの悪意ある攻撃にさらされている、というものだ。陰謀論者個々人は、悪意ある攻撃にさらされており、それに激怒している。彼らはそのような自己認識に立って精力的に活動を展開するのであり、客観的事実を突きつけられることは、彼らにとって悪意ある他者からの攻撃でしかない。その点に着目することで、もつれた糸を解きほぐし、無毒化できるのではないかと具体策を挙げる。

 インターネットは認知バイアス(思考の偏り)を強化しやすいとされる。SNSの情報設計では、スマホの画面に自分が好む主張ばかり繰り返しされる「エコーチェンバー」(反響室)が形成される。加えて、個人情報や個人の好みを学習するアルゴリズムの導入で、その人が興味を持つだろう情報のみが表示され、見たくない情報は遮断される。まるで泡に包まれたように、他の情報や考えに触れられなくなるこのような状態を「フィルターバブル」と呼ぶ。自分の志向に合わせた「おすすめ記事」やSNSの「知り合いかも」が表示されるのも、ユーザーの検索ワードや閲覧ページなどを追跡して、その人に最適な情報を提供するパーソナライゼーション機能が働いているからだ。こうした機能は一見便利だが、ユーザーに最適でないと判断されたウェブサイトや情報は表示されなくなるため、フィルターバブルを加速させる。指先ひとつで情報を得られるようにし、広告主にも有益をもたらすインターネットの諸機能だが、それが人間の思考を偏らせ、フェイクニュースや陰謀論台頭の一翼を担っていることは多くの識者が指摘するところだ。

 グローバリゼーションと同時並行して起こっている情報の遮断と人間の孤立化。見えていると思っているものが事実なのか否か、真実だと考えているものがそうなのかどうか、自らの認識をただし、見えない世界に目を凝らす必要がある。

【2,420円(本体2,200円+税)】
【学芸みらい社】978-4909783738

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