【書評】 『歴史修正主義 ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで』 武井彩佳

 書店で目をひく「隠されてきた本当の歴史」「誰も書かなかった歴史の真相」などのタイトル。自国礼賛と排外主義が展開される通俗歴史本が「歴史コーナー」に平積みされ、新聞・ネットにも「日本民族」の特殊性と優越性を謳う広告があふれる……。歴史学者である著者は、なぜ人は客観性に欠けるこのような歴史記述を受け入れるのか疑問に思い、こうした風潮に対して歴史学は何ができるのかを考え本書を上梓するに至ったという。

 歴史修正主義(revisionism)とは、歴史的事実の全面的な否定を試みたり、意図的に矮小化したり、一側面のみを誇張したり、何らかの意図で歴史を書き替えようとすることを指す。これに対し、最初から事実と異なる歴史像を広める意図であからさまに史実を否定する主張を、欧米では「歴史修正主義」ではなく「否定論」(denial)と呼ぶ。近年、こうした主張がひんぱんに聞かれるようになり、政治家やジャーナリスト、一般人が参加して議論しているが、概して歴史家は距離を置く傾向にある。論破する労力を無駄と考えてのことだが、放置するうちに、学問的知見に基づいて構築された歴史解釈が骨抜きにされていくことがある。本書ではドイツを例に、いつ、どのように歴史修正主義が生まれて広がり、裁判などを経て、欧米で今日どのような法規制が行われているのかを解説する。

 「第二次世界大戦敗北後のドイツは、拠って立つ国民の物語が欠落した状態にあった。他国への侵略や虐殺という加害の歴史を、国民の共通の物語とすることはできない。(中略)『普通』の国としての歴史、恥じる必要のない国民の物語への希求が、ナチズムの歴史を修正する動機となっていく。それはまずドイツの犯罪を世界の眼前に突き付けたニュルンベルク裁判の否定という形で現れた」(第2章)

 ドイツ無罪論、ヒトラー免罪論が展開され、ネオナチズムがその温床となって拡散された。歴史修正主義は決して砂上の楼閣ではなく、部分的に事実が盛り込まれ組み立てられているため、一般人には見抜きにくい。そこに数人の歴史家が、人々が求める需要に応じて、彼らが喜ぶような「商品」を提供したため混乱に拍車がかかった。

 歴史修正主義の蔓延に際し、当初、多くの歴史家は「言論の自由市場」に任せればいいというスタンスを取っていた。歴史修正主義やホロコースト否定論も「言論の自由市場」によって自然に淘汰されると考えたからだ。しかし「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉があるように、質の異なる貨幣が市場に出回ると、良貨は姿を消し悪貨だけが流通する。結局、「言論の自由市場」では事実が常に嘘を駆逐するとは限らず、事実や真実はたやすくその地位を追われた。

 やがて、ドイツでホロコーストの否定が始まる。1970年代から、「アウシュヴィッツにガス室はなかった」「ホロコーストの死者数600万人は誇張である」「ユダヤ人はドイツから補償金を搾り取るためにホロコーストを利用する」といった、ホロコーストの否定、もしくは矮小化が行われ始めた。「アウシュビッツに人間を殺害するガス室はなかった」という報告書まで流布したが、裁判の過程で、報告書の捏造が明らかとなり、ホロコースト否定論者の根拠がことごとく否定された。また、裁判を機に国内のみならず、国際的にも問題意識が喚起され、法規制に舵を切る転機となった。現在では、ヨーロッパを中心に、ホロコースト否定論などの悪質な歴史修正主義は法律で禁じられている。

 では、日本ではどうか。「日本では『歴史修正主義』という概念の幅はかなり広い。学術的な再検証から、根拠を欠く『トンデモ論』の類いまで含まれる。たとえば、『南京虐殺は中国共産党よる捏造である』『慰安婦はみな娼婦であった』などの言説は、欧米社会がホロコースト否定論に当てはめる基準からすると、明らかに否定論の分類に入る。しかし、歴史修正主義と否定論の明白な区別がないため、意図的に歪曲された歴史像が一つの歴史言説として社会の一部で流通している」(第3章)

 自国礼賛が、しばしば人種差別に結びつくケースがあるが、処罰例は少ない。先進国ではアメリカと日本が、数少ないヘイトスピーチ法規制のない国として知られる。ドイツではフェイスブックやツイッターなどSNSに人種差別的投稿があった場合、24時間以内に削除することを運営側に義務づけ、これに違反すると巨額の罰金が科せられる。

 著者は、「一九九〇年代後半には、第二次世界大戦をより肯定的に記述することで『自虐史観』からの脱却を図ると主張する団体も生まれ、『新しい歴史教科書をつくる会』(略称、『つくる 会』)を名乗った。『つくる会』は日本人として誇りを持てる歴史を提示することで、歴史を国民の紐帯とし、愛国心を高めると謳っていたが、こうした議論はドイツとそっくりである」(第4章)と述べる。

 どの国にも国家アイデンティティを強化することを目的とした歴史記述がある。日本は敗戦国として、加害国として、ドイツと同様に過去をどのように記述するか長く苦心してきた。そんな中で生まれた自国の自画自賛だが、そのような歴史記述は、そう信じたい国民には心地よい「誇り」を与えるとしても、他国との対立を生み、国際社会での孤立をもたらす。また国内でも、加害の歴史を教訓としようとする人々との間に溝が広がっている。

 「あとがき」で著者は、本書を執筆するにあたり困難があったが、研究者としての「執念」で書き上げることができたと語る。キリスト者はどのような「信念」に立つべきだろう。耳ざわりのいい話に警戒するよう聖書は教えている。歴史修正主義は国家だけでなく教会にも入り込み得る。「隠されてきた本当の歴史」が提供する心地よい「誇り」に幻惑されることなく、多くの研究者たちが長い年月をかけて培ってきた学術的研究による歴史認識に根を下ろしたい。

【924円(本体840円+税)】
【中央公論新社】978-4121026644

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