【書評】 『日本像の起源 つくられる<日本的なるもの>』 伊藤 聡

 島国日本――。この環境は、他国と境界を接して常に関わりを構築しなければならない大陸の国々とは異なり、ある程度切り離された自他認識を作り上げることができる。思想や文化、制度が初発において他国からもたらされるという事実は劣等感情を生み出したが、その一方で地理的な距離感は根拠なく、自国と自国民の優越を誇る心性を育むこととなった。このような劣等意識と優越意識を並立させた日本が、自らをどのように捉えてきたのか。日本思想史の専門家である著者が膨大な資料を参照して、古代から中世にかけての自国意識の変遷をたどり、5章に分けて考察する。

 第1章では「神国」意識を取り上げる。「神国思想は奈良時代に起こり、以後古代・中世を通じ、そのニュアンスを変えながら、日本人の国家像のある部分を占め続けている。近世以降も同様である。豊臣秀吉が夢想した中国征服の野望(そしてその前哨としての朝鮮国侵略)は、日本神国観を背景としたものだったし(本章第四節)、近代以降の数々の戦争と侵略行為において『神国』が必ず想起された。日中戦争から太平洋戦争に至る時代は、かかる神国意識が最も高揚し、自らを破滅へと導くこととなったのである」

 著者は、このような「神国」意識は、戦後はなくなったかのように見えたが、いまだに日本人の自国意識の底流に脈々と受け継がれていると指摘。2000年5月、時の首相であった森喜朗が神道政治連盟の祝賀会で「(日本は)天皇を中心としている神の国であるぞ」と述べた例を引く。これは一個人の時代遅れの発言というより、国民の一定層が持つ感情を代弁したものだったと考えられる。

 第4章で扱うのは文字。戦国時代にキリスト教宣教師が来日してアルファベットを伝える以前において、日本で知られていた文字は漢字と梵字であった。平仮名・片仮名も存在したが、これらは「真名」(漢字)から派生した文字通りの「仮名」である。日本固有の文字はなかったのだが、これがある種の人々には耐えられない問題だった。そして、文字なき国のジレンマに対して二つの立場が現れるようになった。一つは「ない」ということに日本文化の特質を見ようとする立場。賀茂真淵は、日本人は心が素直で道徳も生来身についていたので、君主の命令や道徳を敢えて言葉や文字にする必要がなかったのだと解釈した。本居宣長は、固有文字の非在をもって、日本の優越性の根拠とした。曰く、日本は文字使用が遅れたことで正確な口承が可能になったので、固有文字を作り出した中国(漢)より勝れているのだと。

 しかし、日本の優越性を唱える国学者・神道家たちは真淵や宣長の主張に納得できず、固有文字の探究に向かい、もう一つの立場を登場させた。古代から日本には「神代文字」があったという見方だ。吉田兼倶が説いた神代文字論が受け継がれ、平田篤胤が諸国から「神代文字」を収集・考証して『神字日文伝』で日文四十七音を発表した。これはハングル(諺文)に酷似していたが、そのことを指摘された篤胤はハングルの方が神代文字を模倣して作られたのだと主張し、その根拠を神功皇后の朝鮮渡海に求めた。

 第5章では「やまとだましひ」「やまとごころ」の変容をたどる。「侍ジャパン」など、日本的なるものの表象として、武士あるいは武士的なものが採り上げられることが多いが、そのような武士イメージの理想化は近世以降に起こってきた心性で、それ以前は王朝的な「みやび」こそが理想であり、「色ごのみ」が徳として称揚されていた。

 そもそも「武士道」なる用語は近世になって現れた。山本常朝の『葉隠』が武士道のイメージを決定づけたが、常朝は戦うことのない時代に生まれた実戦経験のない武士で、そこに描かれていたのは平和な社会における観念化された武士像だった。新渡戸稲造が英文で著した『武士道』の影響で、国際的な日本イメージの中核に武士が置かれるようになった。

 武士が武に励むのは君と民を守って安寧ならしむるためであり、名誉を棄損されたり、父や兄が殺された時、主君から下命を受けたりした時は命を賭して戦わなければならないとする「武士道」精神は、戦争が日常だった室町・戦国時代には厳密には要求されていなかった。不名誉は戦場での働きで挽回できたからである。ところが近代に入ると、日本男子全員が「武」を担うことが理想とされ、国民教育で勇武であること、立派な軍人であることが賞賛された。日中戦争から太平洋戦争における異常なまでの人命軽視や、現実を無視した無謀な戦闘行為は、机上で作り出された観念が実際に応用された時に起こった悲劇だった。

 「あとがき」で著者は本書の執筆動機を述べ、次のようにしめくくる。「本書執筆に至った動機のひとつに、世紀が改まってからとみに顕著になってきた、日本人自身による日本文化に対する、野放図な称賛・美化と、そのことと連動して吐かれる隣国への嫌悪・憎悪の言辞がある。(……)この種の言辞の時代を超えて共通する特徴は、誉める場合には結局のところ日本だからということ以外に確たる根拠はなく、貶す場合には批判する相手を説得する根拠を示せない、というかそのつもりもないという点である。過去の日本文化を研究する者として、私はこの共通性にとても興味を覚えた。その結果が本書という形になったわけである。近世の神道者や国学者の自国文化への手放しの礼賛と他国文化への非難の口吻は、現代の日本賛美者のそれと瓜二つであることは、本書を読まれるとよく分かるだろう」

 過去から照射された日本の自画像は現代に焦点を結んでいる。

【2,640円(本体2,400円+税)】
【KADOKAWA】978-4047036055

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