【書評】 『神智学と仏教』 吉永進一

 2022年3月31日、惜しまれつつこの世を去った吉永進一氏の最初で最後の単著である。吉永氏は、長年、仏教など諸宗教と神智学に介在した人々を横断的に研究してきた神智学研究の第一人者。従来、宗教史研究ではオカルト・心霊学・民間精神療法などの領域にあまり光が当てられてこなかったが、本書では幅広い知識を駆使してそのような領域に果敢に踏み込んでいく。

 「神智学」とは、スピリチュアリズムの流行から派生した運動を指すが、その思想の基本は二つある。一つは、魔術は科学であり、科学的法則を応用することで超常現象は起こるというもの、もう一つは、古代の普遍的な「知恵」からさまざまな宗教が発生し、ヘルメス、モーセ、ピタゴラス、ソクラテス、イエスなどの賢者がその「知恵=宗教」の伝授者だとする宗教史観である。

 1875年、ブラヴァツキーとオルコットによって神智学協会が設立され、その影響は日本にも及んだ。神智学は万教同根説を採り、原則的にすべての宗教を等しく評価するが、ブラヴァツキーとオルコットはどちらも上座部仏教で受戒しているので、形式的には仏教徒であった。そのため、1889年のオルコットの来日は仏教界の招聘で実現した。招聘の立役者の1人となった平井金三は、シカゴ万国宗教会議で仏教に関する演説を行ったことで知られる真宗大谷派の僧侶。のちにユニテリアンとなり、心霊研究に没頭し、松村介石が興した道会にも参加するなど、独特な宗教遍歴をした人物だが、本書第3章「平井金三、その生涯」で詳しく取り上げられている。

 オルコットの講演は全国で反響を呼び大成功だったものの、講演内容の大半は神智学ではなく仏教に関するものだった。当時、仏教結社が各地で結成され、破邪顕正運動が盛んであった。1886年にはキリスト教を非合理的と批判し、仏教こそ文明的宗教と主張した井上円了『真理金針』が出版されてベストセラーとなっていた。円了は同書で、欧米人が仏教を称賛するだろうと予言していたが、オルコットの来日と講演はそれを成就し裏づけるものであったのだ。

 しかし、仏教界での神智学熱はその後急速に冷めていく。仏教新聞『明教新誌』にマックス・ミュラーによる神智学批判が翻訳掲載されたからで、そこにはブラヴァツキーが詐術を行ったこと、彼女の仏教はキリスト教的であることが論じられていた。オルコットは1891年に再来日を果たすも、この時はほとんど話題にならなかった。

 次に日本に押し寄せたのはスウェーデンボルグ主義の波だった。鈴木大拙は禅仏教の大家として知られるが、スウェーデンの神秘家スウェーデンボルグの著書を初めて邦訳した人物で、彼の思想を高く評価していた。確かに、大拙のスウェーデンボルグ解釈は禅経験への解釈と連続しているが、禅を神秘体験と同一視することに関しては異なる見解を持っていた。

 「(大拙は)『禅は神秘教なるか』では、禅も神秘主義も『共に宗旨を直下に会する所にあり』と認めた上で、キリスト教は神性と神性ならぬものの合一を説くこと、世界の外に神がいること、このように前提が二元論になっているのが禅と相容れないと述べる。さらにアメリカ滞在時に書いた『「三昧」と云うことにつきて』では、『禅でいう「三味」はトランス状態ではなく、活動的な状態であり、自由自在、任運だと述べている」(第2章「大拙とスウェーデンボルグ」)

 ところで、欧米人の仏教受容には、日本仏教が深く関わっている。フェノロサとともに日本で仏教に改宗したビゲロウは、仏教に超能力を説明する原理があると考えていた。またブラヴァツキーは、日本の山伏をアジアにごく少数残る秘術を伝える者と紹介した。西洋人が仏教に入信した背景には、心身を操作する行法や超能力への憧れがあった。これらは現代では迷信的に思われるかもしれないが、当時は催眠術やオカルティズムが流行しており、合理性があると受け止められていた。

 大拙は『大乗仏教概論』で、仏と世界は一致するという一元論的な汎神論を説いて、普遍的な原理として仏教を提示した。その後、神智学徒の息子マクガヴァンが大拙の大乗仏教論を引き継いで完成させ、オックスフォードで学位を得た。このような人的・思想的つながりを追うと、従来注目されていなかった仏教と神智学という隙間に豊かな遺産が眠っていることがわかる。

 「マクガヴァンの物語は、仏教と学知と秘教思想が、思われているほど境界線がはっきりしているわけではなく、それらは重なりあっていたことを示す。ここから一つだけ教訓を読みとれるとすれば、近代仏教史の物語は、学知と信仰、帝国と植民地、仏教とキリスト教、合理主義とオカルト、東洋と西洋などの対概念でカテゴライズされたプレーヤーたちの物語というだけではなく、余白まで読み解いていくとより流動的な物語が見えてくるということである」(「終章」)

 「解題」で碧海寿広氏は、吉永氏の研究に顕著なのは、「脱宗派」の視点であるとする。特定の宗派を自明視し、他の宗派と並置する「超宗派」ではなく、個々の宗派を扱いつつも、その宗派の固有性を解体し、新しい見方を創造していく「脱宗派」の視点。その視点によって、視界不良だった領域に何かが見えてくる可能性があると述べる。

 本書で吉永氏は、「学問が更新されるためには、他領域とのすり合わせや新資料の出現による火花のようなものが必要だ」と語っている。「仏教」「キリスト教」「神智学」「オカルト」「民間精神療法」など、別個に考察されることが多い領域の枠組みを脱し、あるいはすり合わせていく時、これまで得られなかった知見が生み出されていくのだろう。そのような視界を開いた吉永氏の起こした火花に、他の火花が続き、さらなる燃料が投じられていくことを願わずにはいられない。

【4,400円(本体4,000円+税)】
【法蔵館】978-4831855640

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