【書評】 『戦後日本と国家神道:天皇崇敬をめぐる宗教と政治』 島薗 進

 近代日本を捉え返す上で、誰もが重要な論題だと認める国家神道。宗教史研究の第一人者である島薗進氏が、国家神道に関する自らの論稿15本を大幅に加筆修正してまとめた。本書の副題が「天皇崇敬をめぐる宗教と政治」とされているのは、国家神道と天皇崇敬、政治が互いに深く結びついているから。大きく3部で構成され、第1部では国家神道の概念を扱い、第2部では、戦後の日本社会で国家神道は消滅したのかについて論じ、第3部では国家神道を復興しようとする運動がどのように行われてきたのかを明らかにする。

 明治維新後の日本では、天皇を神聖な存在とし、崇敬するシステムが国家体制の基軸とされた。戦前・戦中には、万世一系の天皇による統治が世界に類例のない日本独自の「国体」だとする理念が、学校・軍隊・官僚機構・治安・メディアなどに及び、人々に天皇崇敬を強い、促した。

 「国家神道とは何か」を論じる上では、皇室神道・皇室祭祀も併せて考え、神社神道と国家神道の違いを確認する必要がある。神職や神道学者たちは、神社神道が古代以来、連綿と伝統を守ってきたと考えているが、現代の日本史学では、中世後期まで「神社神道」と呼べるだけのものはなかったとされる。神道が明確な実体をもって多数の国民の前に登場したのは明治維新後のことだった。しかし、神職や神道学者たちによる「神社神道」認識が広まっており、政治と結びつくケースもある。

 1981年から86年にかけて愛媛県は靖国神社に玉串料などの名目で公金を支出。これは日本国憲法第20条3項(国及びその機関による宗教的活動の禁止)と第89条(公の財産の支出又は利用の制限)に反するとして、愛媛県の住民らが提訴した。裁判は最高裁まで争われたが、最高裁は原告の主張を認め、愛媛県の行為は憲法違反であるとの判決を下した。首相が靖国神社を公式参拝しないのはこの最高裁判決が歯止めになっているからだ。靖国神社にA級戦犯が合祀されていることをもって近隣諸国から批判されるが、そのために公式に参拝できないのではなく、最高裁の判例があるからである。

 他方、2019年の大嘗祭は24億円以上もの費用をかけて執り行われた。大嘗祭は新たに即位した天皇が、皇祖神である天照大神に新穀を捧げ、ともに食する神道祭祀であるが、これは憲法に違反しないのか疑問が呈されている。

 戦前・戦中の体制では、国家神道の行事に国民すべてが参与することが求められた。しかし、国民各層に浸透していくと、やがて国民自身が積極的な担い手となった。そして政府は、国民からの国家神道の運動の引きずられるようにして、無謀な戦争に突入していったという一面がある。戦後、国家神道は解体されたはずだが、天皇と国家の神聖さが強調されるところでは、「万世一系」の天皇崇敬と皇祖神への信仰が顔を出す。

 第2部では、「国家神道の解体」をもたらしたとされるGHQの施策が、何を解体し、何を残したのかを考察。GHQが1945年に出したいわゆる「神道指令」によって、一応「国家神道の解体」がなされたが、GHQは国家神道の重要な構成要素である皇室神道・皇室祭祀には手をつけず、この問題を先送りした。戦後も残った国家神道としては、皇室祭祀と、神社本庁を中心とする政治的な神聖天皇崇敬運動があり、伊勢神宮と靖国神社が両者をつないでいる。戦前・戦中の国家神道と比べれば当然、質も規模も変わったが、決して消滅したわけではない。

 近年では、日本人論のなかで宗教を論じ、日本の宗教性の核心を天皇崇敬に見出すものが増えてきている。さらに2000年代に入ると、皇室祭祀に高い価値をおく国家神道言説を唱える人々が目立つようになり、特に2012年からの第二次安倍政権では国家神道復興に向けた動きが一段と高まった。

 第3部では、国家神道の復興を目指す潮流が、占領期から現在に至るまで、一定の影響力を行使していることを示す。日本会議は、安倍政権の右派的な政策を推し進める背後の勢力として注目されるようになったが、その源流には神道政治連盟と神社本庁の存在が垣間見える。

 また、日本会議には神社本庁のほか、新宗教系の団体が多く関わっている。解脱会、国柱会、霊友会、崇教真光、モラロジー研究所、キリストの幕屋、三五教などである。神社本庁は、国家神道が国民生活に深く浸透していた時代の神社の地位を範型とし、それを奪い去った「神道指令」とGHQに対する強い批判・抵抗の意識に動機づけられ、国家神道の復興に関わる多くの運動を展開してきた。神道政治連盟も神社本庁と密接な関連を有し、神聖天皇を崇敬する体制および世界に誇るべき日本の「国体」を復興させようとする政治的・宗教的運動から生まれた。

 戦後の日本では日本人論や日本文化論とよばれるものが、諸外国に例を見ないほどもてはやされてきた。日本人論は、戦前に多くの国民の精神を枠づけていた国家神道や国体論と大いに関係があり、天皇礼賛に接続されることもある。小林よしのりの『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』では、「幾千年の歴史を経」た「万世一系の子孫」たる天皇を称え、「世界にも類を見ない」「奇跡のような存在」と表現する。メディアだけでなく、2015年には国会の場で三原じゅん子議員が「八紘一宇」という語を肯定的な意味で用いた。「八紘一宇」は日蓮主義を唱えた田中智学が『日本書紀』をもとに作った造語で、田中は、神聖な天皇を仰ぐ国体に基づき世界を一つの家にするという意味でこの言葉を取り上げた。「八紘一宇」のような神聖天皇崇敬を促す言葉は、戦前・戦中の軍国主義や侵略思想と深く関連していると考えられ、戦後は忌避されてきたが、最近、こうした言葉を積極的な意味で用いる傾向が顕著になっている。

 「もちろんこれは一部の論者の言説にとどまるものであり、どれほど広い共鳴を得ているかは調査研究を必要とする。しかし、大学教授や人気『文化人』らによるこうした傾向の書物の刊行が、日本人論の流れのなかでの神権的国体論や国家神道・神聖天皇崇敬の復興に連なる思想・文化傾向の活性化の兆候を示しているとまでは言えるだろう」(第3部第2章「日本人論と国家神道の関わり」)

 現在も日本会議、神道政治連盟に所属する議員が国会議員の約4割を占めるとされ、彼らがそのような支持勢力に応えようとしているが、著者は「多数の国民はむしろ日本国憲法と象徴天皇制の理念を支持している」と見る。近代日本の歩みを通して得られた教訓が国民のなかに息づき、戦前回帰の潮流に抗うものとなることが願われる。

【3,850円(本体3,500円+税)】
【岩波書店】978-4000615037

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