【書評】 『見えない神を信ずる 月本昭男講演集』 月本昭男

 旧約聖書学・古代オリエント学の碩学として知られる著者の講演集。立教大学の定年退職後、特任教授として迎えられた上智大学神学部の退職を記念して編まれた。無教会全国集会などで語った信仰に関する講演11本を所収し、歴史的・文化的背景からキリスト教理解へと導く内容となっている。

 冒頭におかれているのは、創世記を引いた「人はひとりではない―旧約聖書にみる愛の倫理」。創世記3章16節には「神は女に向かって言われた。/『お前のはらみの苦しみを大きなものにする。/お前は、苦しんで子を産む。/お前は男を求め/彼はお前を支配する』」(新共同訳)と書かれている。「はらみの苦しみ」の箇所は古くから「生みの苦しみ」と解釈されてきたが、関根正雄氏は「苦痛と欲求」と訳し、「欲求(ヘーローン)」の注に「性的欲求の意味」と記した。月本氏はその根拠とされた論文やヘブライ語辞典を子細に検討したが、疑問の余地なしとは言えないとする。また、それ以上の問題は「お前は男を求め」という訳文で、これでは蛇に誘惑された女性は、男なら誰であろうとかまわず後を追いかけるようになる、と神から言われているようだと指摘する。

 このような細かな点に著者がこだわるのは、エデンの園の物語は、人間社会の基本単位である夫婦関係がいかにあるべきかを描いているから。「旧約聖書は、なによりも神ヤハウェと民イスラエルの関係を『愛』で結ばれる関係としてとらえ、これを比喩的に夫と妻あるいは父と子として表現しています」として、神の愛とそれに対する民の応答が聖書全体を貫く根幹にあることを論証する。

 多くのキリスト教思想家が取り組んできたヨブ記については、「絶望という希望――ヨブの場合」で語られる。ヨブ記13章15節前半は、訳によって随分と内容が異なる。

「彼われを殺すとも我は彼に依頼(よりたの)まん」(文語訳)

「見よ、彼は私を殺すであろう。私は絶望だ」(口語訳)

「たとえ彼がわたしを殺すとも私は彼を待つ」(関根正雄訳)

「そうだ、神は私を殺されるかもしれない。だが、ただ、待ってはいられない」(新共同訳)

「彼が私を殺すであろうゆえ、私は待っていられない」(並木浩一訳)

 ヘブライ語聖書の「ロー・アヤヘール」をどう解釈するかによって、大きく「彼(=神)に信頼する」と「絶望だ/待ってはいられない」という2種類に分かれるが、著者はそれらとは異なる視点からとらえたユダヤ人思想家アンドレ・ネエルの解釈を紹介する。「絶望か希望か、といったあれかこれかではない。絶望そのもののなかに希望を見たのだ」と。

 第Ⅱ部「信仰を語る」では、さらに深く「霊の体」や「神の前での『良心』」、「内村鑑三の贖罪信仰」について論考。東京光の家で行われたクリスマス礼拝の講話では、「失われた一匹の羊」の話を引きながら自身についても語った。

 「私は大学生になるまで、ほかの人には言えないことがありました。それは、父親が朝鮮半島出身であったことです。日本では、いまでも在日韓国・朝鮮人に対して、心ないヘイト・スピーチが行われますが、私が子供時分には、韓国・朝鮮人を『チョウセンジン』と呼び、ほかの人を嘲るときに『バカ、カバ、チョウセンジン』といいました。ひどい差別の言葉です。でも、そのために、私は父親がチョウセンジンであることを隠していました。自分でも、そのことが嫌でたまらなかったのです。

 ところが大学生になって、同じような境遇にあり、同じような悩みをもつ仲間たちと出会いました。それは、今でも忘れることのできない嬉しい体験でした。父親がチョウセンジンであることを隠してきたこと、それこそが自分のなかにひそむ差別意識の裏返しなのだ、と気づかされました。自分が自分であるためには、自分のなかに韓国・朝鮮人の血が流れていることがじつはとても大切なのではないかと思うようになりました。

 視覚障がいを抱えた皆さんから見れば、ごく些細な体験です。しかし、私にとっては、自分のなかにある『失われたもの』を発見する貴重な体験となりました」

 そして、脳性麻痺で目と耳の以外の機能をすべて失いながらも、信仰を得て多くの美しい詩を残した「瞬きの詩人」水野源三氏の詩を紹介してこう述べる。

 「水野源三さんは、高熱による全身麻痺に冒されるなかで、身体という生きるための大切なものを失いました。大切なものを失って、イエスさまと出会いました。その出会いをとおして、私たちの人生には、『失われたもの』との出会いがあり、そこに人間ならではの喜びがある、ということを教えてくれました」

 キリスト教信仰の根は旧約聖書にさかのぼる。無教会キリスト者である著者は、「違いをこえて、福音宣教のために尽力しましょう」という言葉を心にとめ、プロテスタントの大学だけでなくカトリックの大学でも教鞭を取ってきた。旧約聖書と古代オリエントの広大な世界を背景とした知見は、目に見えない地上のエクレシア(教会)につながる者だけでなく、すべての国民(くにたみ)に有益となるものだろう。

【2,420円(本体2,200円+税)】
【日本キリスト教団出版局】978-4818410985

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