【雑誌紹介】 「賛美する」と「歌う」の違い 『礼拝と音楽』192号・193号

 特集「賛美歌再考」。個人的な「愛唱歌」を超えた共同体の歌としての賛美歌を考える3号シリーズ。192号の第1弾のテーマは「賛美歌とは何か」。「賛美歌とはどんな歌か」で荒瀬牧彦(日本聖書神学校教授)が、礼拝司式者の「賛美歌○○番を賛美しましょう」という言葉には二つの問題があると指摘する。

 「一つは……賛美する対象は神さまであって歌ではないからです。『賛美する』と『歌う』は同義ではありません。賛美歌は『歌いましょう』と呼びかけるべきものです」と。「もう一つの問題は、賛美歌を歌うという行為を一括して『賛美する』と言い表すのは、私たちが礼拝で実際にしていることに即していないということです。外見的には『歌う』という同一の行動なのですが、内容的には『賛美する』だけではありません。礼拝の中で歌うことによって『罪を告白する』『聖書を読む』『聖書を言い換える』『福音を説教する』『イメージする』『信仰告白する』『証しする』『とりなしの祈りをする』『奉献する』『仲間に呼びかける』『祝福する』『アーメンと応答する』といったことをしているのです。……この点をもっとはっきり意識することで、『賛美歌を機械的に歌う(歌わされる)』ことを脱して、能動的に参与する礼拝に近づいていくのではないでしょうか」

 同号の座談会「賛美歌は必要か」では、コロナの感染拡大によって賛美歌を礼拝で歌うことができなくなった今、「賛美歌がなくても礼拝は成立するのでは?」という問いと向き合わざるを得なくなっていると、同誌編集委員長で司会の小栗献(神戸聖愛教会牧師)が言う。

 山中臨在(日本バプテスト連盟品川バプテスト教会牧師)は、感染症と向き合っている医師から「そうまでして歌わなくちゃいけないの?」と問われたことを振り返る。「新鮮な問いでした。これまで、何の疑問もなく歌っていたわけですから。その時、私はその問いにうまく答えられませんでした」と。これに対し、泉川道子(愛農学園農業高等学校教頭)が言う。「私だったら、その医師の問いに『もちろんです!』と答えたと思います。『クリスチャンにとって歌うことは何よりも大事なことです』と」

 まだ答えが見つからないという山中が、「声を発することができない人とも、一緒に神さまを賛美することはできる。歌わなければ礼拝にならないかというと、そんなことはないと思います」と言うと、安積道也(ハイデルベルク教会音楽大学合唱指揮科教授)が応じる。「もちろん賛美歌がなくても礼拝は成り立つし、歌うことができない人もいますが、賛美歌は私たちの信仰の共有財産です。……礼拝で声を合わせることは、人間の本質に根差したものです。何年パンデミックが続こうが、捨ててはいけないものです。今は、耐え忍ぶ時期です」と。

 193号の第2弾「賛美歌の歩み」では、『讃美歌21』を基準に賛美歌の可能性を考察している。

【1,500円(本体1,364円+税)】
【日本キリスト教団出版局】

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