【書評】 『ダンテ論 『神曲』と「個人」の出現』 原 基晶

 中世ヨーロッパを代表する詩人ダンテが著した『神曲』は、シェイクスピアやゲーテと並ぶ古典で、キリスト教文学の最高峰として世界文学史上にそびえ立っている。しかし、このような評価がされるようになったのは近代になってからのこと。本書は、ダンテの生涯と『神曲』を軸にその批評史からテクスト解釈、時代背景まで深く掘り起こし、解き明かしていく。

 13~14世紀にかけて活動したダンテ・アリギエリは都市国家フィレンツェ出身の詩人・政治家。世界最大の叙事詩といわれる『神曲』は「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」の3部から成るが、実は、『神曲』の自筆原稿は早い時期に失われてしまった。オリジナルから最初の写本へ、その写本から別の写本へと筆写されるうちに、数多くの異本が生じたため、古来よりオリジナルのテクストを探究する努力がなされてきた。

 しかも、政争に敗れてフィレンツェを追放されたダンテの場合、各地の僭主・領主の屋敷を渡り歩きながら何回にも分けて『神曲』の各歌を発表していったため、時にはその場で聴衆と応答しながら、彼自身が作品に注をつけて解説したこともあっただろうと考えられる。著者の原氏はこのような問題意識を念頭に、膨大なテクストの森の中で自らの姿を見失うことがないよう留意し、テクストの意味内容を探る。

 『神曲』には、登場人物として「ダンテ」が現れる。登場人物ダンテの旅が神慮に基づくものであると人々に知らしめるために、作者ダンテは彼をキリストと結びつけて解釈できるよう創造した。そこに用いられたのは予型論だ。古代から聖書の解釈には、旧約に書かれたことを新約の予型として捉え、新約において成就したと解釈する予型論があった。その解釈を拡大し、異教の神話に対しても当てはめられるようになっていったが、『神曲』においても、ギリシャ神話の登場人物がキリストの予型として表現されている。

 「中世にはキリストが殉教時に一度地獄に下り、ユダヤの義人たちなどを天国に連れて行ったという信仰があった。ギリシャ神話の冥界に下って他人を救ったヘラクレースや、迷宮に入ってミノタウロスを征伐して同国人を救ったテーセウスは、その予型と考えられたのである。こうして彼らは、キリストと同じく悪に勝利するキリストの予型とされ、キリスト教文化の中に取り入れられた」(第5章)

 本書は、これまで『神曲』を読んだことがない人でも概要が把握できるよう書かれている。同時に、ポイントとなる部分には原文と著者による翻訳を載せて深く踏み込んでいく。

「我らの人生を半ばまで歩んだ時
 目が覚めると暗い森の中をさまよっている自分に気づいた。
 まっすぐに続く道はどこにも見えなくなっていた」(「地獄篇」第1歌)

 この箇所の解釈はこうだ。登場人物ダンテは人生の半ばで地獄に赴くことを告げられる。2行目は、物質世界の中で気を失い、「さまよって」いたダンテが意識を取り戻したことを示す。この「暗い森」は、「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(ヨハネによる福音書1章5節)という聖書の言葉を下敷きにし、世界は神の叡智である「光」により創造されたが、人類はその「光」を認識できず、物質に溺れていることを暗示し、そこが「光」のない「暗い森」なのだと表現している。3行目はその結果、森の中に「まっすぐに続く道はどこにも見えなくなっていた」とある。この「まっすぐに続く道」は「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない」(ヨハネによる福音書14章6節)により、キリストを指していると理解される。だから、それを見失っていたとは、信仰を失いかけていたと解釈される。つまり、冒頭の3行は、世界の事物の中の神の光に気がつかないのは人間の側の問題だということを述べているのだ。

 「これは中世神学上の大問題、完全なる神がなぜ地上を不完全に作ったのかという命題への答えと考えることもでき、これに対しダンテは、神の側ではなく、人間の自由意志の行使による判断に問題があるとしたことが分かる」(第7章)

 「天国篇」で、ダンテは恋したベアトリーチェ、すなわち神の愛に導かれて世界の境界を突き抜け、神と接触する。「冒頭の一連の解釈で、この道はキリストのことであり、信仰のことであると解釈したが、 言い換えると、この『道』とは、神の光に気づき、神に吹き込んでもらった魂の中にその光が射し込んでいることを知った人類が天国へと『続く』キリストへの信仰に導かれて、父なる神のいる天国に向かう、神の光の反射光としての人類が歩む神への道を示している。そして『神曲』の最終部で、神の光を見出したダンテは神の光の反射光をたどって、そして彼自身がその光線となって神のもとに戻ったのだ」(第7章)

 『神曲』の最後の言葉「l’amor che move il sole e l’altre stelle.」は、「太陽と星々をめぐらす愛が」と訳される。原氏によれば、ここで全宇宙を描こうとした「天国篇」の円環が閉じられ、ダンテの愛した神の光の煌めきに満ちたこの世界の境界が描き出されるのだという。

 時空を隔てた古典の世界は、ひとりでは彷徨しそうで手を出しにくいが、よいガイドを得れば違ってくる。登場人物ダンテのように、太陽と星々をめぐらす愛に導かれて光に出会う旅へ出かけてみよう。

【3,960円(本体3,600円+税)】
【青土社】978-4791773855

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