【書評】 『東京からの通信』 徐 正敏

 明治学院大学教授・同キリスト教研究所長を務める傍ら、朝日新聞「論座」のコラムニストとしても活躍する著者。韓国語版で出版されたエッセイ集をもとに、それらを日本語で再執筆した全88編を収めた。多彩な話題がテーマごとに5章に分けられ、親しみやすい筆致で描かれている。

 世界各地に離散したユダヤ人を「ディアスポラ」というが、著者は自らのアイデンティティを「ニュー在日ディアスポラ」と考える。その独自の視界に映る日本と韓国の姿は含蓄に満ち、単なるエッセイに留まらない。

 「ところで、私は、韓国人『在日ディアスポラ』の最も積極的な歴史を、『2・8東京朝鮮人留学生の独立宣言』の事例から考えてみたい。彼ら朝鮮人エリートの先輩たちは、自らの祖国が日本の植民地支配下に置かれた状況で、なんと支配者の中心地である首都東京に留学した。 そしてこの場所で、人間の自由、人権の価値、平和と善隣の国際関係の理想、さらには民主主義の価値まで学習した。これらをベースに彼らは韓国の独立と日韓関係の肯定的未来までを夢見たのである。このようなことは、3・1独立運動の思想的、方向的始原となった。彼らがこれらの価値を学び、実行することができたのは、東京で『在日ディアスポラ』を生きるという経験と自信を持っていたからこそ可能なことだった」(まえがき)

 くすりと笑えるエピソードもあれば、ほろりとさせられる家族との思い出も綴られている。なかでも読者に感銘を与えるのは土肥昭夫氏との長きにわたる交流だろう。徐氏は1989年、同志社大学で土肥氏に師事するため単身来日した。土肥氏の著書『日本プロテスタント・キリスト教史』(新教出版社、1980年)には、韓国植民地と日本キリスト教に一章が割かれており、土肥氏は韓国に対する歴史的責任を深く認識していたが、それまで韓国を訪問したことがなかった。1991年、韓国キリスト教歴史研究所が主催する国際シンポジウムに招待され土肥氏が渡韓するに際し、徐氏も同行して通訳を務めた。公式行事が終わった8月11日、延世大学の教会で土肥氏は説教をすることになり、説教壇に通訳の徐氏と並んで立った。土肥氏は説教原稿を何回も読んで臨み、徐氏も翻訳文をほとんど暗記するほど準備万端だった。だが、そのとき……。

 「事前に、通訳は段落ごとに行うことに決め、私は先生の第一声を待っていた。もちろん震えるのは通訳者である私も同じだった。ところが、時間を測るために、手首からはずして説教壇に立てていた腕時計の針が一分、二分、三分……と進んでも、声が聞こえてこない。 正確には約三分、先生の口元からは、何の声も出なかったのである。切ない心で横目に垣間見た先生のメガネの内側にある両目には、いっぱいの涙がにじみ出て、それが頬をつたって途切れなく流れていた。先生の胸中を誰よりも理解していた私もまた、涙を抑えきれなかった。礼拝に参加している人も、なぜ説教をしないのかではなく、今まさに涙の説教をされていることに気づくのに、それほどの時間はかからなかった。先生が心を落ち着かせて言葉の説教を開始する直前、通訳としての私の最初の声がマイクに乗った。

 『皆さん、涙の通訳は、涙しかありません』」(土肥先生の思い出3)

 土肥氏は語り始めるまでの3分間、涙で説教をしていたのだ。そこには伝えようとしていたすべてのメッセージが込められていた。

 徐氏は「ディアスポラ」としてだけでなく、障がい者としても日本の社会を見つめる。近年、ポリオ(小児麻痺)はアジアの途上国やアフリカでも根絶されたが、徐氏が子どものころにはまだ絶望的な病だった。生まれてすぐポリオにかかった徐氏は過酷な闘病によって命を守るほかなく、外科手術によって両足の自由を失った。大学受験でも「修学能力が足りない」という理由で一度不合格になった。「修学能力不足」とは、書籍などを持ってキャンパスや教室を移動できない、または不足していることを指す。優秀な成績で筆記試験に合格していても、そのために身体検査で不合格となった学生が何人もいた。徐氏は「あきらめて別の道を見つけることもできた」が、闘争することを選んだ。一緒に不合格になった友人を集めて活動を始めると、次第に賛同者が増え、願いが通じた。朴正煕大統領が超法規的措置で全員に合格を通知したのだった。

 現在の韓国ではそのようなことはないが、当時どのような差別が障がい者たちに課されていたかが分かる。徐氏はいまの日本で不便さを感じることはないと語る。電車を乗り換える際に歩行困難者が不便のないよう配慮されていることや、エレベーターがない時には駅員が人力で車椅子を担いでくれることから、こんな感想を述べている。

 「私は、彼らのあのよう親切な支援が本気なのかどうか、つまり本心からのものなのかどうか疑問に思う。しかし、考えてみれば、それは本気であろうがなかろうが、気にする必要はないと思った。もし彼らが職務上の誠実さ自体でそのようにしていたとしても、不便な障がい者の社会生活には何の支障がないことだからだ。規定の職務上原則として誠実な支援を与える通常のサービス従事者の態度と表情が訓練されたものであっても、絶対的優しさと真心のこもった丁寧さがある」(障がい者としての日本での生活1)

 本書のタイトルは、韓国軍事独裁時代に民主化運動を後押ししたT・K生の『韓国からの通信』にあやかったものだという。ペンネーム「T・K生」を用いて政権を告発した池明観(チ・ミョンガン)氏は、今年初めに逝去した。日韓関係は安易なラベル貼りを拒む複雑なもので、その交流史においても友好より軋轢が生じることが多かった。しかし、両国の狭間で「ディアスポラ」として生きた人たちによって深い縁(えにし)が紡がれ、未来を信じて行った活動がいまでは花を咲かせている。楽観を許さない状況でひたむきに生きた人たちの思いを継いで、涙で蒔かれたものを刈り取りたい。

池明観氏を偲ぶ追悼の集い 日韓の和解に多大な貢献 2022年6月1日

【2,640円(本体2,400円+税)】
【かんよう出版】978-4910004310

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