【雑誌紹介】 「教会派」として人々と歩む 『福音宣教』6月号

 「巻頭特別企画=第1部『これからの教会と社会を考える』」。若松英輔(批評家・随筆家、東京工業大学教授)、稲葉剛(つくろい東京ファンド代表理事)、小林剛(同誌編集長)の鼎談が5回にわたって連載されてきたが、第6回は「教会はいかに公共性を持ち得るか」と題して同誌企画委員の5人がこれまでを振り返る企画。

 「教会は公器であることをしっかり認識する必要がある」という若松の指摘について、小林が提言する。「別団体の人が常に教会に出入りし、教会の信徒とそうでない人が入り交じっているような状況を作り出せばいいのではないでしょうか。そうすると、教会が公民館のような場所になってしまうのではないか、という批判が予想されますが、逆に、まさにそういう教会が、貧困に苦しんでいる人がいる日常的な場となり、そこでミサがささげられているということが、日本社会にとって重要なのではないかと思います。教会が『ミサもやっている』という場所になることです」と。

 これに原敬子(上智大学神学部准教授)が応じる。「教会で『ミサもやっている』という表現、大胆で、とてもいいと思います。いかに公民館的なことができるか、ということが大切だと思います。そして、祈ってもいる、ということ」

 「公器ということですが、実はジャック・マリタン(フランスの神学者)が二〇世紀の初頭『教会と国家』というテーマで考えていたことです。教会はつまり、国家のようなものです。国家はそして教会のようなものです。政教分離でその二つのことが分離したときに、『教会はどうやって人間のために生きる場となれるのか』、つまり、公共性を担保できるのか。フランスの新神学が準備してきたことなのです」

 「ですから、神学的な論拠というのは明らかなのです。社会派というのではなく、教会派、という形で人々と共に歩んでいく方策ができます」と。

【660円(本体600円+税)】
【オリエンス宗教研究所】

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