【書評】 『世俗の彼方のスピリチュアリティ』 伊達聖伸、アブデヌール・ビダール 編

 フランスは歴史上さまざまな契機によってイスラームとの関係を深めてきた。現在フランス国内のムスリムは約600万人で、イスラームはカトリックに次ぐ第二の宗教となっている。記憶に新しいのは、2015年1月フランスの風刺新聞『シャルリ・エブド』の本社がムスリムの兄弟によって襲撃され、編集委員ほか13人が殺害された事件だ。この年の11月には「イスラーム国」がパリ市とその周辺にあるコンサートホールなど6カ所を無差別攻撃、129人が犠牲となった。この時、多くの人に読まれ世界中に拡散されたのがフランスのムスリム哲学者アブデヌール・ビダール氏の『イスラーム世界への公開書簡』(以下、『公開書簡』)だった。

 『公開書簡』は元々2014年秋に『ハフィントン・ポスト』など2紙に発表されたものだったが、テロ攻撃が起こるや注目が集まり再掲載され、フランスだけでなく各国語でも翻訳出版された。それはフランス社会全体が、また全世界が衝撃を受け、何が起こっているのか問うていたことを物語っている。

 本書は、ビダール氏を日本に招いて開かれた2019年のシンポジウムから生まれ、『公開書簡』の日本語訳と伊達聖伸氏(東京大学大学院准教授)との対談のほか、鵜飼哲(一橋大学名誉教授)、中田考(同志社大学客員教授)、鶴岡賀雄(東京大学名誉教授)、安藤礼二(多摩美術大学教授)、渡辺優(東京大学大学院准教授)、伊達の各氏による論稿が収録されている。

 『公開書簡』はその名のとおり、ムスリムに向かって語りかける形になっている。

 「ああ、私の親愛なるイスラーム世界よ、このように宗教に対峠する自由への権利を拒否していることが、おまえが苦しんでいる悪の根のひとつであり、洞窟の暗がりをなしているのだ。そこで大きくなった怪物おまえはここ数年来、全世界の怯えた顔の前に突きつけてきた。この過酷な宗教は支持することのできない暴力を社会全体に押しつけているのだから、人びとが怯えるのも無理はない。この宗教はいつでも、あまりに多くのおまえの娘たちとおまえの息子たちを、善と悪、許されていること(ハラール)と禁止されていること(ハラーム)の檻のなかに閉じ込めてきた。誰もそれを選んだわけではないのに、誰もが受け入れてしたがうのである。この宗教は、意志を牢獄に閉じ込め、精神を枠にはめ、個人の生き方の選択を全面的に妨げる」

 「私の友よ、おまえはこの傲慢さに何と答えるべきだろうか。おまえはいつの日か西洋を導いて、西洋が少しは自分自身のことを疑うようにすることができるだろうか。いったいなぜ世界の多くの信者たち、ムスリム、ヒンドゥー教徒、仏教徒、儒教や神道の信者などが、西洋の途方もない約束に次第に魅惑されなくなっているのか、西洋が自問するように導くことがおまえにできるだろうか」

 厳しい言葉を投げかけるビダール氏だが、決してイスラームだけを見つめているのではない。西洋におけるキリスト教とイスラームの葛藤を俯瞰し、こう述べる。

 「以上のようなわけで、西洋とイスラーム、おまえたちはかくほどまでに憎しみあっている。おまえたち二つの危機は鏡合わせだ。おまえたちは、自分の責任を正面から見据えることを避けるために互いに非難し合う、悲嘆にくれた双子なのだ。イスラームよ、おまえは西洋を物質主義に陥らせた張本人と非難することで、おまえが聖なる絆を服従のシステムにしたことを忘れようとする。西洋もまた自分のしたことを忘れるために、おまえのことを非難する」(以上、『公開書簡』)

 終章で伊達氏はビダール氏の企みを読み解く。イスラーム世界に「おまえ」と呼びかけ、「イスラーム国」という「怪物」の「悪の根」は「おまえ自身のなかにある」と指弾しつつ、現代の西洋も存亡の危機に瀕していると述べるビダール氏は、頑迷固陋な宗教をただ批判しているのではないのだ、と。宗教と世俗の行き詰まりをスピリチュアリティによって打破し、それによってイスラームにもライシテ(政教分離、宗教的中立性)にも本来の面目を取り戻させることを企んでいるのだと捉える。

 「ビダールに即して考えるならば、世俗の彼方を見ることとは、宗教の偶像を打ち破り、そして宗教に取って代わった世俗の偶像をも打破することである。それは宗教に世俗を対置することでも、世俗に宗教を対置することでもない。イスラームに西洋を対置することでも、西洋にイスラームを対置することでもない。それは宗教の支配と世俗の支配に対する抵抗であり、その抵抗を通しての連帯である。その核心部分に位置するのがスピリチュアリティなのである」(「終章」)

 ビダール氏の生きているフランス社会と日本社会とでは宗教と世俗の関係や配分が違うが、それでも世俗の真っただ中を生きながら、その向こうにある世界を展望することはグローバルな課題に取り組む手がかりになるだろう。人は生まれながらにしてスピリチュアルな存在であるものの、社会で生活するうちに聖なるものを見失うことが多い。自分の中に、世界の中に、干上がった聖なるものの源泉とは別の場所に、湧出点を探し出すことができるのか。世俗の彼方のスピリチュアリティを共有する時、壁を超えた連帯が生み出されることを本書は示唆している。

【4,180円(本体3,800円+税)】
【東京大学出版会】978-4130104173

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