【書評】 『日本同盟基督教団130年史』 日本同盟基督教団教団史編纂委員会 編

 日本同盟基督教団の歴史は、スカンジナビア・アライアンス・ミッション(SAM)の15名の宣教師が横浜に上陸した1891年に始まる。本書はそれから130年の歴史を振り返り、これからを展望する。

 SAMの創設者フレデリック・フランソンは、スウェーデンに生まれ、アメリカでムーディーの推挙で伝道者になった人物だった。ミッションを開始すると、まず中国に35人を派遣。その次が日本だった。来日したのは男性6人、女性9人。皆若く、伝道のための訓練を受けてはいたが按手を受けていたのは2人だけだった。

 彼らは日本語を学びながら、貧民窟や地方に分け入っていき福音を伝えた。しかしこの年の冬、東京では天然痘が蔓延し、病人の世話に行った19歳のメリー・エングストロムが天然痘にかかって命を落とした。メリーを青山墓地に埋葬すると、宣教師たちは各地に散らばっていった。神戸や千葉など人の多くいる地域だけでなく、当時はたどり着くことすら困難であった飛騨高山や伊豆諸島に赴いたのは、彼らのパイオニア精神の表れだったのだろうか。神社仏閣の勢力が強い地方にはキリスト教徒を敵視する人も多く、さまざまな妨害に遭うが、次第に耳を傾ける人も次第に増え受洗者を生んだ。

 最初の教会が建てられたのは1896年。場所は下総(千葉県)幕張町だった。

 「二月一日には、前年十一月より着工していた下総幕張町の会堂兼教師住宅が完成し献堂式が行われた。併せて東部春季会を開き、東部教役者が一堂に会した。連夜の説教会が行われ毎夜聴衆百人が集まった。この大会で教会の名称を付けることになり、今回、東部教役者から『同盟基督教会』という案が提出され、西部(濃飛地方)に照会することとなった。その後、五月一日から行徳町で開催された東部夏季会において教会名は『同盟基督教会』と議決した」(第一章 宣教師の来日から年会成立まで)

 関東大震災、治安維持法公布、自給問題の深刻化、日中戦争、宗教団体法公布、日本基督教団に合同……日本も同盟協会も受難の季節を迎える。

 「日本は、激しさを増す空襲の中、本土決戦一億玉砕への道を突き進んでいた。三月十日の東京大空襲により中野教会の礼拝堂は防火帯設置のため建物疎開の対象となり、軍隊の手で破壊された。松田政一は鋸で柱を切られ引き倒される会堂を『あたかも自分の愛する子どもが轢き殺されるような思い』で見守った。五月二十五日、再度の空襲で上の原の福音館と宣教師館(宣教師帰国後は牧師館)も全焼する。中野本郷教会、方南教会の会堂もこの日の空襲で焼失した」(第三章 日本基督教団の時代)

 1945年8月、日本は敗戦を迎えた。37年には、17教会、18講義所、教職13人、信徒696人、宣教師6人を擁した同盟協会だったが、東京と千葉で会堂を失い、信徒たちも大半が離散してしまうという、物理的にも精神的にも惨憺たる状態からの再出発となった。

 第四章では日本基督教団離脱と日本同盟基督教団の形成が詳述される。1947年、すでにスカンジナビア人の枠を超えて拡大していたSAMはTEAM(The Evangelical Alliance Mission)と改称した。また宗教法人「ゼ・エバンゼリカル・アライアンス・ミッション(日本同盟基督教団)」を設立。1960年代後半以降、教会数と信徒数が急速に伸長した。1990年には東京基督教大学を開設。現在は16宣教区261教会・伝道所を数える。2021年9月23日、コロナ下で宣教130周年記念大会がリモート開催され、記念宣言が行われた。

 艱難の中でも宣教の炎を燃やした宣教師たち。敗戦と焼け跡からの復興。主のみ前に犯した罪への悔い改め……。簡潔な記述ながら、自分たちが経験したことを後の世代に語り伝えようとする真摯な思いが伝わる。心を燃やし、主と歩んだ道のりこそ、未来に引き継ぐ証しのバトンなのだろう。

【2,000円(本体1,818円+税)】
【いのちのことば社】978-4264043393

書籍一覧ページへ

  • 聖コレクション リアル神ゲーあります。「聖書で、遊ぼう。」聖書コレクション
  • 求人/募集/招聘