【書評】 『タムソン書簡集』 中島耕二 編、日本基督教団新栄教会タムソン書簡集編集委員会 訳

 幕末に来日し、半世紀以上宣教に携わり日本で生涯を閉じた宣教師デビッド・タムソン。ヘボンやフルベッキに比べ知名度は高くないが、日本でキリスト教会が成立していく過程で常に最前線に立ち、海外ミッションと日本人との間で交渉にあたりつつ、多岐にわたる活動を展開した。多くの教会を創立したほか、聖書翻訳・後進育成に尽力した功績は大きい。近年では、キリスト教禁令撤廃の背景にタムソンの貢献があったことが指摘されている。本書は、タムソンがアメリカ長老教会海外伝道局に宛てた全書簡の日本語訳を所収。詳細な注つきで歴史や人物、用語の理解が深められるようになっている。

 タムソン(David Thompson、1835~1915年)は米国オハイオ州で生まれた。フランクリン大学、ウェスタン神学校(現ピッツバーグ神学校)を卒業し、ウェストバージニア州の長老教会で短期間牧師を務めたのち、アメリカ長老教会宣教師として1863年5月に来日。それ以来、在日伝道52年におよんだ。東京で没し、妻のメアリー、9歳で亡くなった次女マミーと共に東京の染井霊園に眠っている。

 「私たちは五月九日に上海を発ち、八日間の快適な航海の後、横浜に到着しました。一八日、月曜日の朝、江戸湾に入り正午頃に神奈川沖に碇を下ろしました。午後には上陸し、 ヘボン博士夫妻の温かい出迎えを受けました。当地では、誰もが英国の最後通牒に対する日本側の返答を不安のうちに待っていました。この回答はかなり遅れているようでしたが、今日になってようやく幕府は英国の要求を受け入れる旨通知してきたということを聞きました。また天皇が京都で幕府側と協議し、外国との争いを避けることにしたとも聞きました。彼らの崇める異教の神々の慈悲のおかげで、私たちは約束を取り付け、しばらくは平和な見通しがついたわけです。この状態がいつまで続くか予測はできません。ほとんどの 人たちはあまり長くないだろうと思っています」(1863年5月26日、海外伝道局書記ジョン・ラウリー宛に日本から送った最初の書簡)

 この頃まだ日本はキリスト教を禁じていた。タムソンは長崎のカトリック信徒(浦上キリシタン)が各地に流配され劣悪な環境で苦しんでいるという消息を聞く。

 「和歌山に滞在中、人々の話によって四〇〇~五〇〇人ものカトリック信徒が、流罪で収容されている牢があるのを知りました。その建物は以前厠だったもので、周囲に幾つかある小屋は物乞いの者たちに占拠されていました。牢は窓も戸も板が釘付けにしてあり、中を覗くことはできませんでした。この冬には多くの者が寒さのため亡くなったということです。彼らは一年以上前に捕らえられた時に着ていた衣服のままでした。

 西海岸から戻ってきたばかりのオズボーン氏によれば、その地で五〇〇人ほどの囚人が一つの牢獄に押し込められているのを見たそうです。そこでも同じように、周りには物乞いたちが集まり、寒さや飢えや病で亡くなっています。その病が流罪で収容されている人たち全員に感染することになるのです。それは二〇〇〇人ほどの人数です。

 今のところ、彼らを救済する手だては何も講じられておらず、抗議もありません。何もされていないのです」(1871年4月20日付書簡)

 タムソンはC・カロザーズ、J・C・ヘボンと連名で「切支丹禁制の高札」撤去を求める声明文を海外伝道局に提出し、アメリカ合衆国政府に働きかけて駐日アメリカ公使に十分な指示を与えるよう嘆願した。この後タムソンは1871年6月23日から、岩倉使節団の前哨となる十三大藩海外視察団のコンダクター兼通訳としてアメリカおよびヨーロッパを歴訪し、72年7月に横浜に戻った。この使節団には片岡健吉や江原素六といった後に有力なクリスチャンとなる人々が参加していた。タムソンは旅行中、各国の福音同盟会を訪ねて日本における信教の自由の実現に協力してほしいと呼びかけ、在日プロテスタント6派の宣教師が署名した訴状を届けた。

 1873年の高札撤去後、日本ではキリスト教が黙許されるようになり、地道な宣教が実を結んだ。教会が立てられ、日本人牧師が誕生する。しかし教会が成長する一方で、内部からの問題が噴出し始め、タムソンは日本人と教会を鋭く見通しながらかじ取りをする必要性に迫られる。

 「私の宣教地では、東京と地方に七つの組織された教会があります。そのうち牧師がいるのは二つだけです。その他の五つは、数ヶ所の説教拠点と共に、毎週あるいは毎月派遣されてくる代理の牧師に頼らざるを得ません。……

 日本では教会でさえ、いったん組織されると一種の同族会社のようになる危険があり、ある『一派』の手に落ち、他の人たちはのけ者にされたような気になるのです。伝道所も一人か二人の後援者によって開設され、その人たちの結びつきはできても、他の大勢の人たちは関係がありません。これはとくに礼拝が個人の家で行われる場合の問題点で、現在 広く行われています。これらの傾向から生じる危険を避けるために、私は野外説教という方式を正式に認めて欲しいと思っています」(1882年3月7日付書簡)

 教会には人間関係だけでなく経済的な問題もつきまとう。娘の病死などの不幸に見舞われながらも海外伝道局との折衝し、日本社会の変化に応じた対応をし、教派合同や日本人教職の育成に努める働きは、「宣教師」の枠さえ超えて広がっていく。タムソンの生の声からは歴史を生きた人物の苦悩と、それを超えるビジョンを持つことの大切さが伝わってくる。

 高札撤去から150周年となる節目を来年に控え、日本のキリスト教がどのような道をたどってきたのか振り返ることは、新たなビジョンを得ることにつながるだろう。

【6,380円(本体5,800円+税)】
【教文館】978-4764267503

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