【書評】 『近代文学に見る〈霊性〉』  下山孃子

 40年にわたり大東文化大学で教鞭をとった著者(現在は同大学名誉教授)が、近代文学に〈霊性〉という角度からアプローチした評論集。〈霊性〉とは人間存在の根本にある、大いなるもの(超越的実在)への希求心で、〈宗教性〉と言い換えることもできるという。著者は明治期のキリスト者についても造詣が深く、2017年刊行の『新撰讃美歌集』(岩波文庫)の校注と解説も手がけている(解説は本書に所収)。木村熊二や島崎藤村など日本人のキリスト教受容という側面から語られることが多い人物をはじめ、樋口一葉日記と讃美歌、志賀直哉におけるキリスト教、遠藤周作や大原富枝といったカトリック作家まで取り上げ、彼らがどんな〈霊性〉をもって作品を生み出していったのかを読み解いていく。

 『新撰讃美歌』が日本の近代文学に及ぼした影響は大きい。「日本近代文学、とりわけ新体詩や明治二十年代(一八八七~九六)の浪漫主義の形成に大きな影響を与えたのは『新撰讃美歌』であるという指摘は早くからなされている。斎藤勇は明治二十年代の詩壇の主潮を形成していくと青年詩人達に刺激を与えたのは『新体詩抄』(一八八二年)ではなく、『新撰讃美歌』『小学唱歌集』『於母影』(『国民之友』第五十八号夏期附録、一八八九年)の三つであり、このうち特に重要なのは『新撰讃美歌』と『於母』である(前掲『英語讃美歌』)と述べている」

 「このほか、後年の宮沢賢治『銀河鉄道の夜』第四次稿(生前未発表)には、汽車に乗っているジョバンニたちに『あの聞きなれた(二字分空白)番の讃美歌のふしが聞えてきました』という場面がある。これは第二次稿によって、百六十九(現行『讃美歌』三百二十番、『主よ、みもとに 近づかん』という歌詞で始まる讃美歌)であろうとされ、また詩『今日もまたしやうがないな』(一九二五年)にも『Nearer my God か何かうたふ』とある。これらは同じ曲を指しているが、その曲の源は『新撰讃美歌』にも遡ることができるのである」(以上、第四章『新撰讃美歌』より)

 著者の眼差しは現代にも注がれ、キリシタン時代を描いた遠藤周作の代表作『沈黙』を文芸評論家と周作の対談から考察する。『沈黙』はもともと『日向の匂い』というタイトルだったが出版の際に変更された。また、小説の最後に置かれた『切支丹屋敷役人日記』を読者が付録の参考資料だと誤解して読まず、そのために周作が作品に込めた意図が読者に十分に伝わらないということが、『沈黙』の映画化の際にも話題になった。

 「この点について遠藤自身、三好行雄との対談において、『それから最後に『切支丹屋敷役人日記』というのがございますね。自分としてはあそこも大切なんです。ところがたいていの読者は『切支丹屋敷役人日記』の前のところで、もうこの小説を読むのをおやめになってしまうんです』と述べている」

 「既述のように、遠藤はロドリゴも吉次郎も『二人は転んでもまた立ちなおって、また転んで、ということを繰り返したのだと暗示しておきたかった』と述べているが、転んだ後のロドリゴは、中間として吉次郎を傍に置いており、また牢屋敷内の一橋又兵衛、その女房、内藤新兵衛、松井九郎右衛門なども、『拷問』や『穿整』の後 に、『あらまし白状仕候』とあって、ロドリゴがこの屋敷内で密かに信仰共同体を保持していたと、見受けられるように描かれていることは理解できよう。遠藤は三好との先の対談中、

三好 あれはどうなんでございますか、『神』は依然として、沈黙しているわけですね。

遠藤 いや、私はそうじゃなく、『神は語っている』ということを書きたかったわけです。

とも語っている。転び、告悔し、赦される、という繰り返しの中に、神が共におられ、語り続けている、ということを信じる信仰であるということになろう。従って、イエスを裏切ったユダまでも、最も苦しんだ者、として赦されることになるのだが、当然このようなキリスト教の解釈の仕方については異論が多く出たわけである」(第七章 カトリック作家の文学 三、『沈黙』の後日譚その二)

 著者は『沈黙』内の信徒の信仰はいかなるものとして描出されているか、同時代の批評に触れながら、かくれキリシタンの特殊性や、第二バチカン公会議と関連づけて読む可能性を検討し、それらをふまえて以下のように結ぶ。

 「『沈黙』と言う小説は不思議な小説である。不思議とは第一に、ロドリゴやフェレイラの年齢等の齟齬(年立ての不備)があるにも拘わらず、それらが問題視されず(あるいは読者は気付かず)、出版直後ベストセラーとなり、谷崎潤一郎賞を受賞し、その後現在(二〇二一)に至るまで数十か国語に翻訳されるという風に、また、批判はありながらも、広く世の中に受け入れられているという点である。第二に、この小説についての作者遠藤の言及が極めて多く、原題は『沈黙』ではなく『日向の匂い』だったと主張していることに見るように、この小説はここを重要視して読んで欲しい、そこはこういう風に読んで欲しいと作者が繰り返し述べるものの、多くはそれと無関係に、あるいは飛ばして読んでしまうということもある点である。……というこの現象の不思議さ、この面白さを最後に付け加えたいと思う。文学作品の持つ力というのは、簡単には測れない」

 新しい視点に触れ、再び近代文学の軌跡をひもといてみたくなる1冊。

【6,050円(本体5,500円+税)】
【鼎書房】978-4907282738

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