【書評】 『世界を揺るがした聖遺物』 杉崎泰一郎

 キリストや聖人が現世に残した痕跡は、キリスト教世界(特にローマ・カトリック)では聖遺物と呼ばれ、多くの人々がさまざまな願いを託してきた。十字架上のキリストを貫いたとされる聖槍(ロンギヌスの槍)や聖杯をめぐる伝承は、ヨーロッパで長い間、文学や音楽の作品の題材となり、現代ではアニメやゲームに登場する。聖遺物への信仰は、古代・中世に留まらず、近代にまで影響を及ぼし、現代社会ではサブカルチャーとして生き続けているといえるだろう。著者の杉崎氏(中央大学文学部教授)は西洋中世史を修道院や教会を中心に研究する学者だが、本書を通して、教科書にはない「もうひとつヨーロッパ史」を見つけてほしいと語る。

 ロンギヌスの槍は、日本では『新世紀エヴァンゲリオン』で一気に知名度を上げた。ロンギヌスとはこの槍を持っていたローマ兵士の名。槍を伝って落ちたキリストの血が偶然彼の目に入ると、弱っていた視力を取り戻したと聖書外典のひとつ『ニコデモの福音書』(『ピラト行伝』とも)に記されている。13世紀に書かれた『黄金伝説』では、ロンギヌスはその後洗礼を受け、修道士のような生活を送ったのち、迫害で殉教したとされる。

 さて、このロンギヌスの槍と言われる聖遺物が、現在、世界に複数存在している。有名なのはアルメニアのエチミアジン大聖堂で展示されているものと、ウィーンのホーフブルク宮殿にあるもの。西ヨーロッパで「ロンギヌスの槍」と言えば、後者を指す。なぜなら、このロンギヌスの槍は歴代の神聖ローマ皇帝に受け継がれたからだ。キリストゆかりの聖遺物を手にしていることで正当な支配者と認められため、聖遺物は権力の正当性や権威の証という役割を帯びるものとなったのだ。

 ナチス・ドイツのヒトラーもまた、聖遺物に魅せられた1人だった。ヒトラーは権力を掌握しオーストリアを併合すると、この聖槍をウィーンからニュルンベルクに移した。1945年、ヒトラーが連合国軍に追い詰められて自決する直前、聖槍はアメリカの手に落ちたが、のちにウィーンに戻され、現在の場所に展示されるという過程をたどった。

 著者は、聖槍にしても、その他の聖遺物にしても、それが本物かどうかを突き詰めることにはあまり意味がないと述べる。むしろ、その後の二次創作物としての意味を考えるべきだろうと。つまり、本当にキリストを刺した槍かどうかではなく、その後誰が持っていたのか、どのように認められたのかという歴史的経緯に価値があるという見解だ。

 聖遺物が奇跡を起こすという物語はどこから始まったのか。その最初の記述はアウグスティヌスの『神の国』に書かれた聖ステファノの聖遺物にまつわる奇跡ではないかとされる。コンスタンティノス帝によるキリスト教公認後、帝国は東西に分かれ、西ローマ帝国はゲルマン民族の侵入で5世紀末に滅亡。800年にゲルマン人でありながらローマ皇帝になったカール大帝は、西ローマ帝国を復活させたが、自らの正当性を強くアピールする必要に迫られた。そこで利用したのが聖遺物だった。カール大帝と彼の後継者は多くの聖遺物をローマから購入し、自らの権力を権威づけ、その方法が受け継がれていったため、王権にとって聖遺物は権威の象徴となったのだ。

 また、11世紀になると、ローマ教皇の力が大きくなり、東ローマ帝国が弱体化。教皇は、イスラム勢力の台頭に対抗して十字軍を派遣することとした。十字軍に参加した兵士たちはエルサレムからキリストやマリアゆかりの聖遺物を持ち帰るようになり、聖遺物礼拝が広がることとなった。さらに、16世紀に宗教改革が起こるとプロテスタントに対抗してカトリックは聖人伝や殉教者の伝記を次々と出版した。すると、聖人にまつわる聖遺物を所蔵する教会への巡礼がブームに。中でも人気の巡礼地は、スペインの西端に位置する、聖ヤコブの墓があるサンティアゴ・デ・コンポステーラだった。巡礼者がもたらす経済効果は大きかったため、教会は競って格の高い聖遺物を得ようとし、所蔵する聖遺物の“ありがたみ”をアピールした。

 聖遺物礼拝はキリスト教の教義にとってサブカルチャー的なもので、グレーゾーンに属するかもしれない。だが、それは古くからの信心やあらゆる民族に共通する願いに関わるもので、歴史の深い層や多様な層の交差するところに関わっているのではないかと著者はいう。キリスト教が純粋な教義のみに沿って歴史を歩んできたのではなく、教会も世俗社会や異教信仰とのグレーゾーンを認めつつ発展してきた。それを教会の堕落・変質と捉える見方もあるだろうが、文化としての側面――「遊び」を認める寛容さが、社会に豊かさを生む。

 中世の人々が聖遺物を求め、聖遺物や聖人をめぐる物語が二次創作や三次創作で膨らんでいったのは、現代社会で多くの人がサブカルに熱狂して、続編やスピンオフ作品が作られ、グッズが売られていくのと通じるものがある。それは、同時代の人々が同じカルチャーを共有しながら社会に文化的豊かさを育んでいると言えなくもない。

 「不要不急」なものを削ったら何が残るのか、パンデミックは考える機会をくれた。「不要不急」のサブカルチャーが、不安な時代を生きた人々に与えた“ありがたみ”は、現代人にも十分理解できるものだろう。

【1,562円(本体1,420円+税)】
【河出書房新社】978-4309228549

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