【書評】 『戦後文学と聖書』 長濵拓磨

 1945年から55年までの10年間は、日本が軍国主義から民主主義へと大きく転換し、多くの日本人が新たな思想や価値観、生き方を模索した時期だ。当時の文学にはキリスト教の影響が明確な形であらわれ、聖書が引用されていたり、キリスト教的世界観が織り込まれていたりする。本書は、戦後文学を聖書という観点から概観するもので、『キリスト教文化』誌(かんよう出版)に2016~21年に連載された論文が元になっている。

 著者は学生時代に受洗して以来、「日本近代文学とキリスト教」に関心を抱き続けた研究者。京都外国語大学教授を務めるかたわら日本キリスト教文学会に所属し、椎名麟三、遠藤周作らに関する著書を執筆している。戦後10年間に着目した理由を著者はこう述べる。

 「戦後文学と呼ばれるこの時期には、かつてないほど多くの作家が聖書に取り組み、聖書を題材とした作品を描いたり、聖書的主題を深めていったりしたからである。さらには、プロテスタント作家である椎名麟三が『第一次戦後派』として文壇の中心で活躍し、カトリック作家である遠藤周作が芥川賞を受賞し鮮烈なデビューをした時期でもあった。つまり、聖書と関わる量・ 質ともに数多くの作品が生み出された時期でもあったわけである」(第一章 様々な分岐点)

 本書で取り上げる作家は多岐にわたる。第二章では川端康成と堀辰雄、北原武夫、第三章では無頼派作家とされる作家たちと石川淳、太宰治、第四章では戦後派作家と椎名麟三、武田泰淳、大岡昇平、第五章では中間小説の担い手と石坂洋次郎、井伏鱒二、林芙美子、第六章では「第三の新人」と島尾敏雄、遠藤周作を取り上げる。さらに第七章では、視野を評論にまで広げて、椎名と遠藤の初期文芸評、河上徹太郎、吉本隆明の評論を考察する。

 同時代の作家同士のつながりや作品が社会に与えた影響まで幅広く考慮し、そこに聖書的観点から光を当てる。芥川や太宰がどうキリスト教と向き合ったかも興味深い。

 「芥川と太宰の比較は、太宰が自殺したことにより始まる。一九二七(昭和二年)の芥川の自殺が世間に大きな衝撃を与えたように、一九四八(昭和二十三年)の太宰の自殺も大きな衝撃を与えたからである。安吾のこのエッセイはその先駆けであった。ここで安吾は、 自殺の直前に芥川が『西方の人』を書き、太宰が『人間失格』で自分自身を負の十字架にかけられたキリストに模していることから、『キリストをひきあいに出した』として、そのことを『不良少年の手』として難詰している。だが、二人に『不良少年』という負のレッテルを張ることで、 二人の死の衝撃から逃れようとする安吾の姿を見てとることはできないだろうか。しかも、その負のレッテルの裏には芥川や太宰を殉教者とする複雑な心境も垣間見ることができよう。いずれにしろ安吾も切支丹物という限定された中に聖書やキリスト教の影響を見てとることができるのだ」(第三章 無頼派作家と聖書)

 キリスト者でなくとも聖書を愛読し、キリスト教を題材とした作品を執筆した作家は多い。井伏は青年期に聖書を読み、晩年には座右の書としていたという。そのきっかけになったのはキリシタンへの関心であった。井伏は「マリア観音」「かるさん屋敷」などの切支丹物を手がけている。

 「『井伏鱒二事典』によると、井伏鱒二が『かるさん屋敷』執筆に際し、相当な切支丹資料にあたった経緯が傍証されている。きっかけは吉川英治が一九四九(昭和二十四)年三月、『読売新聞』に連載していた『高山右近』を中断したことにあった。吉川は連載中断後、井伏鱒二が『かるさん屋敷』を書く際、『蒐集した資料をごっそり井伏に貸し出し』た(松本昭『吉川英治』講談社、一九八四・昭和五十九年九月)のだという。こうして井伏鱒二は吉川英治から切支丹の資料を借り受け、それらを含め相当文献調べをしたようだ。……恐らくこの時の切支丹への関心が、晩年井伏鱒二が聖書を愛読するようになるきっかけとなったのではないだろうか」(第五章 中間小説と聖書)

 さまざまな作家を照覧しつつも、最も多くページが割かれているのは、やはり著者が長年取り組んできた椎名と遠藤だ。

 「先に指摘したように、戦後文学の担い手の多くが非キリスト者であった。彼らは知識人であるがゆえに、『大正教養主義』の中で、教養の書として聖書を学んだり、ドストエフスキーを契機として聖書的世界観に深刻な影響を受けたりしてきた。そのため、ドストエフスキー・ブームと『私のイエス』という二つの大きな問題を戦後評論と聖書に関わるものとして述べた。だが、椎名麟三と遠藤周作の二人だけはキリスト者として明確な信仰を表明し、文学においても聖書的世界観やイエス・キリストを表現してきた点で他の文学者とは大きく異なっている。両者は、プロテスタントとカトリック、自ら選んで洗礼を受けた者と母親から半ば強制的に洗礼を受けさせられた者と対照的な信仰姿勢を持っている」(第七章 戦後評論と聖書)

 「クリスチャン作家」や「キリスト教文学」というと、日本ではマイナーな分野のようにイメージされがちだが、実際はそうではない。戦後、日本が新しく転換していく中で、作家たちはこぞって聖書を読み、内容を吸収・咀嚼して自らの文学に反映させようとしていたのだ。その試みは、必ずしも聖書やキリスト教に対する肯定的な評価につながらなかったが、もがきの軌跡が文学史に残されている。信仰の有無や、信徒であったか否かという次元に帰結させるのでなく、日本文学に対する聖書の影響がさらに認識されていくことを期待したい。

【1,980円(本体1,800円+税)】
【かんよう出版】978-4910004051

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