【雑誌紹介】 偏見によって罪人と見られ… 『福音宣教』8・9月号

 聖書学者の本多峰子による連載「イエスとの出会い――新約聖書の人々」。第8回は「罪人と呼ばれている人たち」。

 「当時は、徴税人、売春婦、その他、職業柄律法を守れなかったり、穢(けが)れた状態にならざるを得ない人たち――安息日を守れない仕事や、血に触れずにいられない精肉業の人たちなど――は、社会ではさげすまれたり罪人と思われ、疎外される傾向にありました。イエスは、そのような人たちにまず寄り添い、彼らとともにいらしたのです」

 「イエスが生きた当時のイスラエルでは、病気や障がいを持っている人たちはしばしば、何かの罪の罰としてそのような障がいや病を負っていると見られていました」

 「イエスは、いかなる病も、罪の罰とは言っていません。……この人たちは、病気であったために、社会では偏見によって、罰を被っている罪人と見られ、人々の交わりから疎外されていました。けれどもイエスは、そうした人々に真っ先に助けの手を差し伸べたのでした」

 「福音書でイエスに癒やしていただいた人たちの障がいや病はしばしば、視力や筋力の不足など、貧しさからの栄養不良に起因するものでした。にもかかわらず、そうした病や障がいは、罪の罰と見られたり、悪霊によると思われていました。……ローマによる占領下の不安定な政情や生活苦などから神経症を患っている人も少なくなく、そうした人たちは、いかにも悪霊に憑(つ)かれていると見えたでしょう。今日でも、病や障がい、神経症に苦しみながらも十分な休息や治療を受けられないのは経済的に困窮した人たちです。そのような人たちが社会の中で捨てられ、忘れられていく傾向にあるのは今も変わりません」

 「今イエスがいらしたらどのようになさったか、そして、イエスに従うということはどのようなことであるかを、私たちはもっと真剣に考える必要があるかもしれません」

【660円(本体600円+税)】
【オリエンス宗教研究所】

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