【雑誌紹介】 すでに多様だった賛美の形 『礼拝と音楽』194号

 3号にわたって続いた特集「賛美歌再考」。最終回のテーマは「賛美歌のあじわい」。久世そらち(札幌北部教会牧師)が「賛美歌はこれからどうなるのか? 賛美の形はさまざまに」と題して、コロナ禍になる以前から教会は賛美の困難に直面していたのだと語る

 二十数年前、久世が北海道の小さな町の伝道所に礼拝説教に赴いた時、奏楽を担当する80歳過ぎのNさんというおばあさんから「オルガンは一曲しかひけません。好きにひきますから、じょうずに歌ってくださいね」と言われたという。

 「礼拝が始まったが、そのとたん耳を疑った。Nさんのオルガン演奏は、たしかに音は鳴らしているものの、楽曲の体裁にもなっていない。賛美歌を歌おうにも、伴奏どころか、メロディとまったく無関係な和音が鳴り響き、オルガンの音をまともに聞いてしまうとちゃんと歌うことなどできそうもない」

 Nさんは幼い頃に教会のオルガンの音色に魅了され、ひきたいとあこがれたが、農家に嫁ぎ、教会に通うこともままならず年を重ね、年老いてようやく教会に通えるようになった。礼拝出席者が数名にも満たない小さな伝道所ではオルガンをひける人がおらず、はからずも夢がかなった。

 「毎週イエスさまを礼拝して『オルガンをひく』のがうれしくてしかたないのだと、それこそ少女のように目を輝かせるNさんを、周りの仲間たちも温かく見守っているのが印象的だった」

 「『礼拝と音楽』を購読するほどの方々なら、主の日の礼拝にせいいっぱい整えられた賛美を献げようと、奏楽者なら礼拝でのオルガン伴奏のために真摯に練習に励み、牧師であれば賛美歌や音楽についての研鑽を重ね、祈りをもってことに臨んでいることだろう。それは尊い努力であるし、そうして心をこめて準備された礼拝と音楽のすばらしさには、素直に心動かされる」

 「しかし、せつないことながら、奏楽者どころか、楽器を扱うことのできる人などひとりもいないで礼拝をささげている群れもまた少なくないのだ。……ヒムプレーヤーを購入し、あるいはその場でそれを操作することさえままならない会衆だってある。毎週、奏楽者が伴奏し、会衆がそれにあわせて声をそろえて歌うということは、そもそもこれまでだって決して当然のいとなみではなかったのだ」

 「だが、つたなくもたどたどしい賛美しか献げられない教会の礼拝は、荘厳なオルガンが鳴り響く礼拝とくらべて、神の恵みから遠いのだろうか。あの、Nさんを囲む小さな伝道所の群れの信仰は、毎週の奏楽者に恵まれている筆者の教会の信仰に及ばないとでもいうのだろうか。いや、むしろ、毎週うれしそうにオルガンを鳴らすNさんの思いを受けとめながら、その音にひきずられないようにいっしょうけんめいに賛美歌を歌っていたあの小さな群れの礼拝には、Nさんの奏でる不協和音によって、かえって美しい共同性が共鳴していたのではなかったか」

 「賛美の形は、すでにもう多様だったのだ。賛美歌を歌うことすらままならない現実は、すでにあったことなのだ。それでも、そこにも共鳴しあう会衆は存在し、そうした礼拝・賛美にもゆたかな恵みは訪れて、共同体ははぐくまれてきたのだ」

【1,500円(本体1,364円+税)】
【日本キリスト教団出版局】

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